追う感覚、追われる感覚

今年も、はやひと月経とうとしていますが、年末と年始で仕事の感覚が違っていることに気づきました。

年末はすごくストレスフルだったのに、年明け以降はストレスが激減。当然仕事の効率もあがるし、家事への影響も少なからずあります。なぜなんだろう?と思っていました。

たしかに年末にひとつ大きな会議があってその準備に追われていたのは確かなのですが、それだけとは思えない。タスク管理方法を変えたわけでもない。家事育児の対応タスクが減ったわけでもない(残念ながらむしろ逆)。なぜなんだろう?

ひとつ明らかに違うのは、年末までは何かに「追われる」感覚だったのが、年明けからは何かを「追う」感覚に変わっていました。何に追われていたのだろう?たしかに「締切」には追われていましたが、それだけとも思えない。では、何なのか?そんな疑問をきっかけに、この本を読みました。

段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫)
斎藤 孝
筑摩書房
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これを読んですぐに「段取り力」が上がったわけではありません(上げる必要はあるのですが)。でも、私の疑問へのヒントは書いてありました。

自分は「段取り力」が劣っている、と言った場合、ではどんな「段取り力」が得意で、どんな「段取り力」が不得手かに気づくことが最初のスタートだ。次に段取りがうまくいかなかったのは、ヴィジョンをちゃんと見ないでスタートしていたのか、ヴィジョンしか見ないで細かいことをやらなかったのか、検証してみることだ。

まず、段取りのやり方に自分なりの得手不得手があるというのは、一つの気づきでした。先にタスク管理方法を変えてない、と書きましたが、そのような細かいレベルではなく、もっと大きな枠の取り方。ある意味、視点の転換、あるいは気持ちの持ちようと言ってもいいのかもしれない。それを変えるだけでもすごく切迫した状況にあるものが、なんでもないように見える。変な話、同じタスクリストを自分の慣れているツールに変えるだけでも状況判断に影響が及ぶのかもしれません。

もう一つ、ヴィジョン、すなわち全体像を見渡すことができているかどうかは、ストレスに大きく影響するかもしれません。言いかえれば、先が見えているかどうか。いや、先が「設定」できているかどうか。
仕事も家事も育児も、本来先が見えない代物です。やろうと思えばいくらでもレベルを高くできる。さらには外的要因で頻繁に「先」が変更されてしまう。ところが強引にでも何らかの終点を設定しないと、途端に終わりが見えないものになり、ストレスフルになる。

今の私は「先」をある程度高くないレベルに設定せざるを得ません。いろんな意味で使えるリソースが限られているからです。それでも、とにかく思い切って「終わりを自発的に決める力」が必要かもしれません。まずは、その気力からか。

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