死すべき定め、との闘い(2)

前回の続きです。

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか
アトゥール・ガワンデ
みすず書房
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この本を読んで、特に気になったのは「家族」の存在です。ガンのような死に至る病を受けて、一番頼りになるのは、やはり家族でしょう。病状が進行して自分の意思を話すことができなくなれば、家族のサポートなしに生きながらえることができないし、本人に代わって家族が治療方針を決めることになります。さらに言えば、さほど病状が進行していなくても、家族が治療方針に与える影響は少なくありません。

家族を苦しめたいと思う患者はいない。ブロック医師によれば、おおよそ三分の二の患者は、大切にしている人から望まれれば、本人にとしては受けたくない治療でも受けてしまう。

この筆者の指摘は重要です。家族は患者本人を助けるどころか、結果的に反対のことをやりかねないのです。患者本人が家族のためを思って頑張ってしまうことが往々にしてある。そしてみんなにとって不幸なことに「寿命を縮める」という逆の結果を生みかねない。そのならないようにするために、家族は何ができるのか?これは常に考えておかなければならないのかもしれません。

そして、もう一つ。患者が頑張ってしまう最大の理由は、家族が、あるいは患者自身が「死すべき定め」を受け入れられないことです。そこで重要なのが「方向転換」です。関係者一同が納得すべき、大きな進路変更です。

化学療法が無効になったとき、(略)、自分で着替えができなくなったとき、そんなときにすべての人にとって必要な会話である。このような話し合い、方向転換がいつ必要なのかを決めるために行う一連の会話をスウェーデン医師は「ブレーク・ポイント・ディスカッション」と呼んでいる

「一貫性を求める」ということは、すべてのことを突っ張るのではない。全く逆に「あきらめる」あるいは「受け入れる」ことで、かえって薬の量や医療費が減って、かつ長生きするということ。これは感覚的な話ではなく、事実によっても裏付けられている、と筆者は指摘しています。もちろん、この方向転換をいつ、どのようにやるかは、とても難しい作業です。人によって「答え」が異なるからです。それでも、それを乗り越えてこそ「良き終わり方」を成し遂げることができるのでしょう。

自分の人生に限界があることを自覚するようになると、人はあまり多くを求めないようになる。(略)可能なかぎり、世界での自分の人生の物語をそのまま紡ぎさせてほしいと願う

これこそが「一貫性」なのでしょう。私はまだまだその境地に達していませんが、実はここに「シンプル」という視点が含まれているような気もするのです。

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