自分が自分に帰るとき

先日、このブログを読んで、ふと考えてしまいました。

お母さん、母親、保護者、私。 – スズコ、考える。

当たり前の毎日を家族が過ごすために、当たり前の学校生活を子どもたちが送れるように、何者かわからない私が今日もあたふたと何かをしようとしてる。明日もたぶん、同じように過ごすんだろうと思う。どこかで終わりがくるのかはわからない、想像もつかない。でも終わりの日がくるまで、私は私なりにあたふたしながら生きていくんだろうと思う。

子育てにかかわるお母さん、お父さんはみんなこういう感覚を持っているのではないかと思います。何者かわからない私。これでいいのか?と思いながら、幾多のタスクに流されて、自分が自分であることを意識することさえできない。なんとかならないのか?

自分が自分であることを意識する場面として、2つのパターンがあるのでは、と最近感じています。一つは、コントロール感を持っている時。

ひとつひとつのタスクを、私は親の責任だから親だから親だからと自分に課していたような気がする。でもその一つ一つは、1人の人間としての私が引き受けたり、やりたいと思っていたことなのかもしれない。

そりゃそうなんだろうけど、自発的にそう思える時と、思えない時がある。思える時は、きっと自分で事態を把握している、コントロール感があるような気がします。

では、どうすればコントロール感が持てるか、は正直よくわかりません。単なる気の持ちようだけかもしれない。ただ、ひとつだけ言えるのは、前向きな気持ちでいるときにはコントロール感が持てることが多そうです。

さて、もう一つは、家族や仕事と全く関係のないことをやっているとき。あるいは感じているとき。

少し寒い室内から気温の高い屋外に出たときの、ふわっと熱気を感じるあの瞬間が好きだ。冷えた身体の末端まで一気に血が通うような、自分の身体中の血管がそこにあることを主張しているような、私の輪郭がはっきりするような感じ。私がそこにいることを、私の身体が生を持続させているというのを感じる瞬間。

こういうときですね。ひとりでゲームをやっているときとか。ある意味「現実逃避」。やり過ぎはよくないかもしれませんが、リフレッシュするひとときは絶対に必要です。

そこで、この春から、私はひとつ新しいことを始めました。家でも会社でもない場所で、月1回程度、最低連続3時間、ひとりでのんびりすることにしたのです。私の場合、土日や夜に実行するのが不可能なので、必ず半日年休が必要になるのですが、それだけの価値がある、と思っています。

家でも会社でもない場所、という点が重要です。早朝の自宅でも、通勤中の車内でも、出張中でも代わりにはなりません。先日は自宅近くのスーパー銭湯を使いました。上記画像のような、広い公園とかもありかも。

まず、こういう日ある、と意識するだけで前向きな気分になれる。そして、もしその時間でこれからの計画や、やりたいことを考えることができれば、前向き感がもっと増す。それが、もしかしたら日頃のコントロール感にもつながるかもしれません。

明日、このブログは開設一周年を迎えます。
ここを訪ねて下さった全ての方々に御礼申し上げます。これからも、末永く、よろしく。

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