「寂しさ」から脱却するための多様性(1)

いろいろと、考えさせられる本でした。

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)
平田 オリザ
講談社
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きっかけとなったのは、この一節。

子育て中のお母さんが、昼間に、子供を保育所に預けて芝居や映画を見に行っても、後ろ指を指されない社会を作ること。
私は、この視点がいまの少子化対策に最も欠けている部分だと考える。

この前書きに惹かれて読み始めたのはいいものの、あとに続くのは演劇による地方創生の話ばかり。それはそれで面白いのだけれど、なぜ、あんな前書きを書いたのか?わかったのは終章を読んでからでした。

ただ、私が思うに、この本のポイントは、筆者が序章と終章のそれぞれで引用している、金子光晴の詩の一説にありました。

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢやない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

「寂しさ」が、戦争を、争い事を、望まぬ滅亡を呼んでくる。この寂しさを防ぐためにコミュニケーションやコミュニティが必要であり、そのために本物の文化が必要なんだ、と言いたかったように思えました。「寂しさ」は、ある意味ストレスと言い換えてもいいかもしれません。

違う価値観の人と交わって人生を豊かにするコミュニティ。これは核家族化が進み物理的な断片化が進んで、より困難になっていく気がします。そのつながりを強めるのは、地縁血縁ではなく、文化ではないか。これは今まで気づかなかった視点でした。

筆者はオフラインでのコミュニティを想定されているかと思いますが、オンラインではさらに難しい。自分に対立する意見の存在を認めること。実はこれはネットがあまねく行き渡ってから、情報過多と言いながら逆に困難になっているような気がしています。なにせGoogleやFacebookがある意味気を使いすぎて、自分にとって快適でない検索結果を隠してしまうのですから。

もちろんネットを否定するわけではありません。筆者が望むようなコミュニティを作るにあたって一定の役割は果たすでしょう。むしろこの本で取り上げている地方創生の話でネットが積極的役割を果たしているように思える場面も出てきます。

「寂しさ」から脱却するために、文化を通した多様性を身につけること。そのためにどのような教育をして、どのような(広い意味での)情報に接するべきか、これはとても難しいけれど、その先にこそ未来が待っているような気がします。

この項、続きます(が、次は別の本が出てきます)。

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