我に返ること、我に帰ること

この夏に、一つの大きな決断を下しました。

前回のエントリ時では、個人的にいろいろ苦しい状況下にありました。というより、長い期間少しづつ積み重なってきたストレスの大きさに気づいてハッと我に返り「これは大変だ!」とある日突然実感した、といった方がいいかもしれません。

思えば、いろいろ抱え込んでいました。家族のこと、コミュニティのこと、仕事のこと。仕事のことは以前から意識して抱え込みすぎないようにしていたのでいいのですが、特に家族のことを抱え込む負担が増大していた、と今にして思います。

ただ「適正量」がわからなかった。これは3つの意味があります。

1、自分にとって深刻な負担にならない量
2、家族に深刻な負担が発生しないように、自分が抱え込む量
3、世間的に見て「これぐらいはやらんといかんでしょう」と思われる量

3、はおそらくクリアしていると思います(確たる自信はないのですが)。問題は1、と2、のかねあいです。妻の適応障害をフォローすべく2、のレベルを高く見積もっていました。すると、いつの間にか1、を超えていたのです。

また、家族の動きと某コミュニティの動きが密接に関わっているという特殊な事情もあり、コミュニティを含む多方面に向けて「もういい加減にしてくれ」と叫ばざるをえない状況になってしまいました。

いい加減にしてくれ、はわかった。じゃあ、これからどうするんだ?と思ったときに、このブログが、後押ししてくれました。

〈混ぜるな危険〉R-Style

これは、決定論・運命論でもなく、かといって自己が世界を支配するという話でもありません。どちらかと言えば、その領域を〈行ったり来たり〉するものなのでしょう。
自分のリストを作ること。それはつまり、他人のリストを混ぜないことです。
自分の人生を生きていくために、これ以上必要なことはないでしょう。

上記の1、と2、の間でtodoが混ざる。しかし、1、の限界を超えると自分が崩壊し、いきなり2、がゼロになる。これが家族にとっていいはずがありません。だから改めて自分のリストの確立すること、つまり「我に帰る」ことが必要だ、と感じました。

妻がよく言います。体調がきついから、代わりにやってくれ。これは、今までの私にとってほとんど「命令」でした。自分自身の体調や気分に関係なく、無条件かつ最優先に行うべきものでした。妻がどう思っていたかわかりませんが、結果としてそうなっていた。

しかし、申し訳ないけど、今後はもう無条件かつ最優先ではない。妻の負担を増やさず、私の負担も(大きくは)増やさず、かつ家がなんとか回る方策が最優先である。そのために、家のルールを変え、私の「リスト」を変える決断を下しました。

まずは自分のリストを整えること。これがシンプルに自分の人生を生きていく第一歩かもしれません。

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