感謝の種、考えの種(1)

やっと、これを読む余裕ができるようになりました。

かーそる 2017年7月号
かーそる 2017年7月号

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このタイトルは、この前に「文章を」という言葉が(おそらく意図的に)省略されている、と感じました。「文章を」というよりは「ブログを」といった方がいいかもしれません。書いている方々がブロガーなので当たり前といえば当たり前ですが、道具と動機をいろんな意味で深く考えれば、ブログを含む「文章を書くこと」が長続きできるかもしれません。

さて、私がこのブログを書いている動機が、現時点では、3つあります。

一つは、自分を解き放つため
もう一つは、自分を律するため

一つは、日頃仕事家事育児に追われている自分を解き放つため。前回の「かーそる」のコメントでも私は似たことを書いているような気がしますが、今回も、いっきさんの言葉に深くうなずきました。

だから私は、もう長いこと「本当の意味で自分を喜ばせることができるのは、世界の中で自分だけだ…」という思いの中にいる。

そして、いろいろなことを考えながら書いているうちに自分自身が変わっていく、書き始めたときには思ってもいなかったことに気づく、という経験を何度かしています。編集長の言葉です。

ある種の文章の書き方をするとき、<自分>は変容する。その書き方のことを、私は執筆と呼びたい。

「文章を書くこと」は、幾多の趣味と違って、どこか特定の場所でしかできないことではない。特殊な道具も必要ない。最低限の時間と、空間と、道具さえあれば、たいていできる。自分を変えることさえできる。こんないいことはない、と考えたから、このブログも続いているような気がします。

一方で、ある時点からこのブログは2週間に1回書く、と決めています。スタート当初は勢いに任せて毎日書いてましたが、やはり周辺の環境を考えるといろいろ無理があり、だんだん間隔が長くなっていきました。それでも、自分にとって適度に続けられる頻度が2週間に1回である、と気づいた時、逆に絶対これ以上は延ばさない、と決めました。

私は自分のプライベートの予定を立てる時、まず抑えるのが、このブログの新しい記事を書き始める日程なのです。やりたいことや、やるべきことがどれだけあったとしても、これだけはちゃんとやる。そして、このブログを律することで、なんとか自分を、自分のプライベートを律することができているような気がします。

で、動機がこの二つだけなら、日記でいいではないか?という話かもしれません。ではなぜ全世界に向けて文章を公開するのか?それが、3つ目の動機

書くきっかけを与えてくれた人への感謝の意を表すため

このブログは、私の妻や友人等には一切その存在を知らせずに書いています。それは第1の動機に関連するのですが、妻や友人等に知られるリスクを冒してでも、日記ではなくブログにした理由は、この3つ目の動機があるからです。

書くきっかけを与えてくれた人、つまり自分を解き放つきっかけを与えてくれた人に「ありがとう」と言いたい。それだけなんです。うまくいけば、本人とやりとりができるかもしれない、という想いもあり、実際それはかなり初期の段階で達成されてはいるのですが、それは直接な動機ではなく結果であって、書いて公開した時点で、もう動機はほぼ達成されているのです。

そして、感謝の種を少しづつ植えることが、自分を解き放ち、自分を律することにもつながっているのかもしれません。

この項、続きます。

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