まちがえるのは、悪いことではない:FACTFULNESS(ファクトフルネス)

ましてや、それが希望をもたらすものであるのなら。

世界のことについて考えたり、推測したり、学んだりするときには、誰でも無意識に「自分の世界の見方」を反映してしまう。だから、世界の見方が間違っていたら、正しい推測もできない。

著者がこの本で言いたかったのは、この一点だったのかもしれません。かなりの知識レベルを持つ人でさえ、事実とデータを直視することなく「自分の世界の見方」を重視してしまう。それは、「マスゴミ」や教育の問題と言うよりは人間の本能の問題である、と指摘します。その「本能」について10のポイントを取り上げ、それぞれの章で、事実とデータを直視すること=ファクトフルネスがいかに大切かを説いています。

とはいえ、正直言って自分はピンと来ませんでした。誤った世界の見方を招く10の「本能」について最初から読み進んでみました。各章の最初の方に示される簡単な三択問題に間違えながら、著者の説く平易な解説を読み進めても、どことなくピンと来ませんでした。それは、著者が説く相手は(かなりの知識レベルを持つ人を含む)世界のすべての人であり、そのため三択問題も全世界的な問題が取り上げられていて、あまり身近なものとして感じられなかったのかもしれません。

それが一転したのは、第7章「宿命本能」(「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み)のこの一節を読んでからでした。

アジアやアフリカの国々で見かける「男らしさ信仰」は、アジアやアフリカの価値観ではない。イスラム教の価値観でもない。東洋の価値観でもない。それは、たった60年前のスウェーデンであたりまえだった頑固オヤジの価値観だ。

この一節で、私は一気にこの本に引き込まれました。私のような典型的?日本人から見れば、男女同権が進んでいるスウェーデンのような北欧諸国では、ずっと前(例えば明治時代ぐらい)から男女同権の価値観が定着しているものだと思い込んでいました。60年前といえば、そんなに大昔ではありません。この一節の直後にこうあります。

社会と経済が進歩すれば、そんな価値観は消えてなくなる。スウェーデンでもなくなった。変わらない文化などない。

人間に「宿命本能」があるのは、文化や社会が少しずつ変わっていくため、その変化に気づかないからだ、と筆者は指摘します。確かに今日明日で変わるものではない。それでも、日本にしたって、この30年ぐらいで男女同権の価値観については、スウェーデンほどではないにしろ変わっていることは間違いないでしょう。そしてこの指摘は、他の「本能」に対する指摘と同様、今後の世界に、いや自分の身近にとっても希望をもたらすものであるような気がします。

逆に言えば、事実とデータに基づかず、何か間違ったものにとらわれているところから、希望が始まるような気がします。そして「なにかがおかしい」と思ったら、事実とデータと取ることから始めるのがいいのかもしれません。

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