今あるもの、未来に求めるもの

先週末、家族で海に行ってきました。海は、いいですね。

世界幸福度ランキング1位の国フィジーへの移住。「世界最幸」の4つの秘訣とは? | ライフハッカー[日本版]

というわけで、フィジー在住の日本人の方の投稿より、謹んで拝借。

フィジーの場合これらの「幸せの構成要素と信じられているもの」は、決して良い状態とは言えません。しかし、客観的に「幸せの構成要素と信じられているもの」は、主観的な「幸せの構成要素」とは限らないということです。

平均寿命とか、乳幼児死亡率とかの客観的幸福度にあげられる指数って、日本人は「高くて(低くて)あたりまえ」と思ってしまうんですね。「高くて(低くて)ありがたい」ではなく。
これは価値観の問題かもしれません。完璧主義というのもあるけど、今あるものに対する感謝というか、満足感というか、そういったものが足りないんじゃないかと。うまく表現できないけど。

一方で、今を捨てて、あるいは無視して求めるものは、未来。

日本でのサラリーマン時代と比較すると、主観的幸福度は圧倒的に上がったと思います。当時を振り返ると、納期に追われ、会社に泊まり込み、人間関係に神経をすり減らし、有給休暇を消化することにも罪悪感を覚えていた日々…。いつか報われる未来を信じて。

いつか、報われる未来。

日本人に限った話ではないとは思いますが、多くの人はなぜか「今、ここにある幸せ」を意図的に避けているような気がします。
たしかに、今我慢すれば将来よりいい結果が出るかもしれない。でも、なんか我慢しすぎてないか?、やりすぎてないか?って思うんです。本当にその我慢に見合った「報われる未来」が来るかどうかもわからんのに。

誰でもフィジーが合うとは思わないけど、今にフォーカスする。特に今持っている「いいこと」にフォーカスするって大事なことだと思います。

いつか、家族で、南太平洋に行ってみたいなぁ‥

スローダウンを受け入れること

昨日の話の続き。

仕事と子育て「誰でも両立可」 父親の45%余 NHKニュース

今回の調査結果について、博報堂こそだて家族研究所の尾崎徳行上席研究員は、「父親の子育てへの意識は高まっているが、時間のやりくりの難しさから行動に移せない人が多いことがうかがえる。家族と過ごす時間を決めて仕事に取りかかるなど、具体的な行動目標を立てることが、両立への近道ではないか」と話しています。

たしかに「時間」だと思います。ポイントは。私が年休とか育児休業にふれたのも、時間がポイントだと思ったからです。

でも、そもそも「仕事と子育ての両立」って、物理的に不可能なのではないか、と考えています。「子育て」というこれまでなかったミッションに対応するためには、時間を確保せざるを得ない。その時間は、今まで趣味とか仕事とかに使っていた時間をあてざるをえない。
すると、いくら工夫をこらしたとしても当然仕事量は減ります。スローダウンせざるを得ません。それができないのではないか。特に、父親は。

すでに少子化問題は手遅れだけど – 2 世界級ライフスタイルのつくり方

女性が育児のために一時的にスローダウンするのは社会で広範に認められている一方で、小さい子どもを持つ男性の大変さはそこまで理解されていないのが現状で、最近はパパの方が疲れてるんじゃないか?という気さえしています

これはイギリスの例ですが、イギリスのお父さんでさえ、スローダウンは大変。一方、日本のお父さんはそもそもスローダウンしようという意識そのものがないんじゃないか。
もちろんスローダウンすると、業績とか給与に響く可能性がありますが、いろんな意味で、それを受け入れられないのではないか。例えば右肩上がりが当たり前の人事制度になっていれば、スローダウンをやりたくてもできません。

つまり、意識改革が必要なのは「お父さん」本人だけではなく、その可能性を断ってしまっている社会全体なのではないか、という気がしています。

もっとも、そんな「社会全体」の仕組みやルールの大半は、やっぱり「お父さん」が作っているんですけどね。

※明日と明後日は、更新を休みます。

子育ての他人への意識、自分への意識

ちょっと前の記事ですが、気になったこと。

仕事と子育て「誰でも両立可」 父親の45%余 NHKニュース

12歳までの子どもがいる父親で、仕事と子育ての両立が「必要だ」と考えている人は80%に上る一方、職場の理解などの問題もあって「誰でも両立できる」と考えている人は45%余りにとどまるという調査結果がまとまりました。

これを読んで、「なんかおかしいくないか?」と思いました。

「仕事と子育ての両立」の定義があいまいなんですが、とにかく他人が(あるいは世間一般が)そういう意識を持つことはかなり許容されるようになってきた。ところが、自分自身はなかなかできない。と言っているわけです。

もう一度言います。「仕事と子育ての両立が「必要だ」と考えている人は80%に上る」ということは、単純に考えて、「職場」の男性のかなりの人もそう思っている、つまり、職場の理解はかなりある、ということですよね?でも、自分のことになった途端に弱気になるのは、なぜなのか?

理由は、二つしかありません。自分の職場が世間一般からかけ離れているブラックな職場なのか、「職場の理解」という理由づけが本当ではないか、です。
で、個人的には、かなりの部分は後者ではないか、と思っています。

まさに私がいる会社がそうです。子育てに時間をかけたい、と思ったら、男性女性関係なくかなりのことができる。実際女性の育児休業はかなりよく目にする。にも関わらず、私のように男性で年休取得率がほぼ100%に近い人を見かけたことがほとんどない、というのはなぜなのか?
私も世間で言われるようなイクメンではなく、必死に家のことをフォローしてやむを得ずこうなった、という面が大きいのですが、そこまでしないと年休って取ってはいけないものなのか?

ニュースでは、こう続きます。

両立のために必要なことを複数回答で尋ねたところ、「職場の理解」が53.1%、「職場の仕組みや制度」が44.9%に上った一方、最も多かったのは「父親本人の意識改革」で58%に達しました。

そりゃそうだ。休めないのを他人のせいにしてはいけない。リード文がちょっとおかしい。

たしかに制度による障害はあるかもしれない。わたしも半日年休制度をフル活用しているので、これがないと厳しい。
ただ、それより前に、まずは仕事と子育ての重要性を同列に見る、という意味での意識変化は間違いなく必要だ、と思います。

この項、明日に続きます。

※本件、上から目線のように聞こえたのなら、申し訳ありません。私も妻の体調とかいろんな理由で、ある意味やむなく意識が変わったのです‥

ちゃんとやらなきゃいけない症候群、への対処

もうちょっと「安全地帯」のことを書きたいなぁ、と思ってたら、こんな素晴らしいブログを見つけました。

【終わり時間が来てもやめられない娘と、それを責める私】 – なんだなんだ、そうだったのか 

母(ブログ主)と娘さんがともにADHDという方のブログです。

ADHDかどうかに関係なく、日本人って「ちゃんとやらなきゃ」という意識がすごく強い。しかも、その傾向が年々強くなっていると思います。理由はよくわかりません。ただ、対応策をしっかり考えないと自分と家族の人生をぶち壊すような気がしてならないのです。

といっても、私も解決策を見つけたわけではありませんが、とりあえず二つの糸口があるのではないか、と思っています。

ひとつは「安全地帯」を作ること。

「この子はねえ、すごいんだよ、何がって妄想力が。作品の出来がいいとか、ちょっと芸術的にすごいもの持ってる、とか、そういうのはあるかないか知らないし、別にどうでもいい。でも、糸鋸やってね、っていう時間におがくずをひたすら集めてるとか、ドールハウスの住人に良さそう!ってガラクタをひたすら選り分けてるとか、もうね、それが一番大事なんだよ。」

このようにおっしゃる工芸教室の先生(ブログ主のご友人)は、素晴らしいと思います。

世間は、どうしても時間とか効率とかに縛られてしまう。でも、そんなの関係ない!とズバッと言い切れる「場」を持つことってすごく大事だと思います。
世間の、なんとなく「ちゃんとやらなきゃ」に流されない、まさに安全地帯。そういうのはきっと会社とかではなく、芸術的なコミュニティに近いところにあるのかもしれません。

もう一つは「ちゃんとやらなきゃ」の根拠を疑うこと。実は、ちゃんとやらなきゃ、の根拠が必ずしも明確ではないような気がしています。

例えば、人様に迷惑をかけるから、という理由はよく聞きます。ところが迷惑をかける、というのは、かなり主観的です。基準は、自分が何をやったかではなく、他人が「迷惑と思うかどうか」の一点のみです。
でも、あの工芸教室の先生のような方もおられる。自分も、変われるかもしれません。まわりの環境や状況にもよるでしょうけど。

さらに言えば、その「迷惑ではないか?」という行動は、そもそも何のためにやっていたのか?を客観的に考えることではないか。
例えば、何かが時間内に終わらないとする。そうすると、具体的にどういう影響があるか?を冷静に考える。ゼロではないが、後でリカバリー可能だったり、そもそもゼロだったりすることもあるかもしれません。
「○○さんの言う通りにできなかったから、ダメだった」とよく思ってしまう。実は「できなかった」ことと「ダメだった」ことの間にはかなりのステップがあるのに。

むしろ本当はもっと自由にやりたいし社会から押し付けられる常識やルールへの抵抗も大きいのに、自分の基準に自信がないので、ひとえにその不安から、社会から求められる「ちゃんとしている」に、過剰に縛られてしまっているのです。

このようにブログ主さんがおっしゃるように、ADHDの方は特に大変なのでしょうけど、これはこの傾向が強い日本人全体で考えないといけない問題のような気がしています。

もちろん、私も含めて。

心理的な「安全地帯」:a home to return to

昨日物理的(時間的)な「安全地帯」を確保することの重要性を書きました。今度は、心理的な「安全地帯」です。

なにか大変かことがあっても、話せる相手がいること、「帰るべき場所」があることは、とても大事なことだと思います。
家族がいる場合、自宅が当然第一の「安全地帯」になるべきです。ですが、家族運営がうまくいっているとしても、別の「帰るべき場所」を確保することは、絶対に必要です。あるとないとでは、緊急時の心理的な余裕が全然違います。

まず、思いつくのは、何と言っても実家でしょう。特に近くにご両親が住んでいる場合、なにかあったらすぐ子供を預けることができるので、可能な限りご両親の近くに住んだ方がいいと思います。同居もありですが「スープの冷めない距離」というのがちょうどいいかも。
ところが、実家が遠いと、そう簡単には預けられません。もっとも、こちらが都会であちらが田舎にいる場合は夏休みとかにいい「田舎体験」ができるのはいいですね。時々自然に触れることは大切。
だた実家で介護問題(つまりご両親の親御さん)とかが発生した場合、いつでもokというわけにもいきません。別の手段も考えておく必要がありそうです。

次は、個人の友達。「一生ものの友達」はすぐにできるものではないので、長い時間かけて育む必要があります。といっても、子供を持つようになってもしょっちゅう会うことなどできません。本当の「一生ものの友達」は、2〜3年音信不通で急にメールが入ったとしても「おう、お久しぶり!最近どう?」とスッと会話に入っていける人だと思います。これは私も妻もそれぞれで持っています。これは、本当にありがたいです。

そして、コミュニティ。これは地域のコミュニティでも友人の集まりでもいいのですが、個人ではなく集団であることがポイント。言ってみれば「家族ぐるみのつきあい」。これも子供ができてからおいそれというわけにはなかなかいきません。
私と妻はもともとある趣味のコミュニティのメンバーでした。結婚パーティーにはコミュニティの仲間がいっぱい来てくれました。ただ、子供ができたら家事と育児に時間を取られて、今はなかなかコミュニティに顔を出すことができません。それでも、子供が大きくなって自分の時間がまとまって取れるようになったら、また顔を出せるようになります。何年かたって、コミュニティのメンバーがかなり入れ替わったとしても「お久しぶりー!」と言ってサッと入ることのできる。私はそのコミュニティで実例を何度も目にしています。

いずれにしろ、結婚前に心理的な「安全地帯」を確保することは、ストレスコントロールにとても大切なことだと感じています。

物理的な「安全地帯」を確保すること

子育てしている方はお分かりかと思いますが、子育てが始まったら一気に自分の時間がなくなります。特に子供が小さいうちは自分の時間がないものと思え、と言った言葉をよく目にします。
確かにそうかもしれませんが、それを脱却するために、3つのステップがあるような気がしてきました。

最初のステップは、睡眠時間の確保です。大きな意味では次のステップに含まれますが、敢えて、これを別に挙げたい。

私も子供が2歳になるぐらいまでは夜は頻繁に起きてましたので、睡眠時間が確保できませんでした。これはきついです。夜が寝られないと、一日中響く。これはもう、ライフハック以前の問題です。
そう考えると、まず子供を安定的に長時間寝るように習慣づけることが、親のストレスを減らすための最優先事項かもしれません。もうちょっとこれに真剣に取り組んでいれば、今に至るまでストレスを少なくできたかもしれない、と思っています。

第二に、細切れだろうがなんだろうが、物理的に時間を確保することです。

子供が安定して寝るようになったとしても、自分の時間はなかなか取れません。しかも、うちのように妻が疲れやすい体質の場合、必ず定時で退社して早めに帰るだけでなく、勤務中もいつでも家事育児を引き継げるよう臨戦態勢をとっておく必要があり、なかなか気が休まりません。

だからと言って、全く時間がないかというと、そんなことはありません。

まず、子どもは毎晩平均10時間寝ています。家事やら妻との話し合いやらで少なからず時間が取られますが(これは絶対にケチってはいけません。後々響きます)、それでも自分の時間はゼロではありません。
さらには通勤時間や昼休みも、貴重な自由時間です。とにかく、まずは物理的に時間を確保することが大事。

そして、最後にその細切れ時間の質的充実を図ります。

もしかしたら、順序が逆かもしれません。最初にやるべきこと、やりたいことの中身を考えてから時間を確保すべきではないか?
しかし、私の場合、これはうまく行きませんでした。ブログを書くために時間を確保したのではなく、これぐらいの自由時間があるならブログはなんとか書けそうだ、と判断したのです。 
というのも、(仕事ではなく)家事育児に最大限の時間拠出が要求されるがために、まず「安全地帯」を確保する必要があったのです。そこまで精神的に追いつめられていた、とも言えます。

結婚前のように好きな時間に飲みに行くことは全くできません。でも、読書やブログを書くことぐらいはできるだけの「安全地帯」を物理的に確保できれば、なんとか日々のストレスコントロールができるのではないか、と考えています。

シンプルに考える:シンプルは、日本を救う

LINE、毎日お世話になってます。相手は妻だけですが。

シンプルに考える

商品開発には大きく二つのやり方があります。ひとつは、技術的アプローチ。その代表格がgoogleです。(略)
もうひとつが、デザイナーが主導するアプローチ。スティーブ・ジョブズが典型ですが、人々が求めている「価値」を突き詰めて、それをデザイナーが主導して具現化する手法です。(略)
LINE株式会社のアプローチは後者です。

私のLINEの使い方はSMSそのもの。スタンプさえつかいません。正直言ってなんでこんなにLINEがヒットしたか、私にはわかりませんでした。

でも、考えてみれば、LINEのやり方はiPhoneと似ているのかもしれません。まず、電話と音楽とネットブラウズしかできない、というところから始めた。それらの価値を突き詰めるところから始めた。その後は、みなさん御存知の通り。

これって生き方にも通じるところがあるかもしれんなあ、と思いました。「できるから」といってなんでもかんでもやってみる、というのが、だれでもうまくいくとは限らない。ましてや、お金とか体の機能とか、いろいろな面で「足りない」状態では。「足りない」ことが悪いこととは、限らない。やりかたを間違えなければ、それに余りある価値を生み出せる。

しかし、そもそも日本人はそぎ落とすことが得意だったはずです。
短歌、俳句、水墨画‥ 不純物を徹底的に削ぎ落として本質をシンプルに表現することが日本人の美意識だったのです。
技術主導からデザイン主導に切り替えることによって、古来の日本の美意識を取り戻せば、再び日本経済は元気になる

言い切りましたねぇ。シンプルは日本を救う。

今の日本は、高度経済成長モードのまま、いまだに技術主導で突っ走っていることは確かでしょう。一方で、日本人にはシンプルさを求めるDNAがちゃんとあるはずだ。それを呼び覚ませ。と言いたいのかもしれません。

そのシンプルさを、いくらでも複雑にできる今の時代の生き方に適応させるには、どうすればいいのだろう。ブログとして表現するにはどうすればいいのだろう。そんなことを考えながら、今後も書き進めていきます。

シンプルに考える:不安への解は、感覚

前回は昔の本でしたので、今回は最新のベストセラーを。

シンプルに考える

まず、読了した感想は「厳しい方だ」ということでした。とにかく、カスタマーファースト。そのために自分の持つすべてをつぎ込み、あらゆる余計なものを排除する。まるで禅僧のようです。LINEってすごく厳しい会社なのだと思います。ブラック、という意味ではなくて。

この本で私がまず目についたのは「不安」という言葉でした。シンプルを目指し、余計なものを排除すると、当然、不安になる。もともとこの変化の激しい時代、ただでさえ不安なのに、さらにぶった切ってどうするの?

わかるはずもない「未来」を予測するなどという作業は、会社にとって余計なことなのです。それよりも、「目の前」のニーズに応えることに集中する。そして、常にそのニーズに変化の兆しはないかと、神経を鋭敏にしておくことのほうが重要だと思うのです。

不安への解は、集中、そして研ぎ澄まされた感覚。ロジックではなく、感覚。そうかぁ、と思いました。あんまりそのように考えたことがなかったのですが、実は当たり前なのかもしれしれません。
ところで、ADHDってある意味神経過敏な方々ですから、もともと研ぎ澄まされた感覚を持っている。というより、周囲の変化に目が行き過ぎて、大変なことになっているのがADHDではないか。ならば、余計な変化を見えなくすればいい。著者が言っている「計画」はいらない、というのも、そのひとつ。 

日本人には「変わるのは悪いこと」というイメージが強い。だから、計画の変化にネガティブに反応してしまう社員が現れる。ならば、計画を発表しなければいい。そうすれば、計画が変わったかどうか誰も気づかない。みんながハッピーになれるし、何より変化への抵抗がなくなるんじゃないか。

計画なんか作るからその後の変数が増える。ならば最初から見せなければいい。そして、本当に見るべき変化(この本ではカスタマー)だけに集中する。たしかに日本人って「変わること」に対する本能的な抵抗って大きいような気がします。スケジュールが大事な農耕民族だからでしょうか。そこに鋭敏すぎる神経が加わると大変なことになるのもわかります。

では、私にとって、本当に見るべき変化って、なんだろう?
まずは、家族。それから‥?
といろいろ考えてしまいました。

「未来のブロガー」になっていく(ような気がする)

いろいろわけあってブログを始めて、3週間もたってないけど、毎日更新できています。毎日書いている中で気づいたことが、ふたつあります。

自分が変われる(ような気がする)

もともと、ブログを始めた理由は「社会を変える前に、自分が変わりたかった」からです。
友人や妻にさえ知らせずに、文字通り読者ゼロの状態からスタートしたのは、所詮無名のブログごときで社会なんか変えられるわけがない。それより前にやるべきことがあるだろう、と思ったからです。

で、自分の中での変化は早くも起こりつつあります。例えば、記事を書きはじめるうちに自分の思いもしない方向に筆が進んで、あ、本当に思っていたのってこれだったんだ、と自分の中で納得することがすでに起こっています。とりあえずサッカーのゴールあたりを目指してなんとなく走っていたら、思わぬタイミングで斜め後方からナイスパスが来てシュートがうちやすくなる、みたいな感覚です。この感覚を味わうと、ブログって止められん、という人の気持ちがちょっとはわかるような気がします。

そりゃあ読者が多い方がありがたいけど、会社のブログじゃないんだから、読者増やすことが第一優先ではないだろう、と。初心忘れるべからず。

「未来のブロガー」になっていく(ような気がする)

そんなわけで、これからも人の目を引くような過激な意見を書くつもりは全くないのです。それでブロガー足り得るのか?と思ってたら、「すごいパス」が来ました。

【書評】21世紀の自由論(佐々木俊尚)- R-style
有名ブログから、慎んで拝借。あ、タイトルの本はまだ読んでません。今度読んでみよう。

暴言を承知で言えば、言論を商売にしている人たちの発現を薄め、市民による市民としての発言を吸い上げていくことが必要だ。しかし、はたしてそんなことが可能なのだろうか。私は可能であると信じたい。そしておそらくそれが、finalvent氏の言う「未来のブロガー」の姿なのであろうとも思う。

今のうちに言いたい放題言っておこう。無名ブロガーでもしっかりとした意見があれば「未来のブロガー」にはなれるかもしれない。

極東ブログ、読んだことあります。あまりに高尚すぎてついていけないのですが、そういう方に励まされる(気分になる)とちょっとはやる気が出ます。今のノリでやっていても、自分が変わる以上のことが起こるかもしれない。

改めて、初心忘れるべからず。

学校プリントをスキャンし始めて気づいた3つのこと

この春から、家事でひとつ、大きく変えたところがありました。小学校や幼稚園で配布されるプリント類を私も管理する、ということです。

これまでこの類の管理は妻に任せっきりにしていました。ところが、これが大きなストレス源になっていたことに今ごろになって気づいたのです。先日、家族全員の行動予定表の話を書きましたが、これもプリント類の内容を把握していないと書けない、という当たり前の事実に気づいて、早速実行開始。

私のやり方は全てをスキャナに通してPDF化して”evernote”にぶち込む。その後のプリント自体のこまかいファイリングはせず、単純に「小学校」というファイルボックスに保管、というシンプルな方法ですが、自分なりに把握ができれば何でもいいのです。そして3つのことに気づきました。

1点目。小学校のプリント多過ぎ。しかも、サイズがバラバラ。これはADHDでなくても簡単にテンパる。こんなことを妻ひとりに任せていたことを深く反省しました。すごいストレスだったことでしょう。こんなの紙で出さずに全部ファイル化してメールで送ってくれ、と言いたいところですが、子供自身が把握すべき情報もあり、そうは行かないのでしょう。

2点目は、1点目に関係するのですが、子供ひとりに対する行動管理はバカにならない、ということ。大人になればやるべきことを自分で判断して自分で行動するようになるわけですが、子供はまだそれができない(大人でもできない人は多いのですが)。したがってその指示がプリントを通してガンガン来るわけです。単純な「この日に○○を持って来て」だけではなく、給食の献立や保健室だよりのような参考情報も少なくなく、そこから選別して子供のtodoを組み立てることは結構高度なスキルかもしれません。

3点目は、スキャンのために文書を見返すことが新たな行動につながる、ということ。新たな行動と言っても「めんどくさいなぁ」という感じではなく、ポジティブなイメージ。今までは、何か期限が迫って来たところで「そうだ、あれやらなきゃ」と思い出し、あわてて書類をあさる、という感じだったのが、事前に慌てることなく把握できる。しかも余裕があるからプラスαの対応ができる可能性がある。これについては詳しく項を改めて書こうと思います。

ちなみに妻は妻で学校のプリント管理を続けていますが、好みの問題もあり、私とはやり方も使うソフトも異なります。言わば二重管理ですが、無駄なことではなく、むしろリスク分散になっていると思っています。大切なのは、「共有すること」です。