そういう考え方も「あり」では?

あるメルマガに、こんな質問がありました。

自分のことをどのように感じておられますか。
普通の人? それとも変人?

はい、変人です。間違いなく。

「変人」を「人と変わった考え方を持つ人」と仮に定義すると、変人には2通りある、と思います。
すなわち、身体的器質的な理由により、変わった考え方にならざるを得ない人(たとえばADHDとか不安神経症とか)と、そうでない人。

私は子供の頃から自他共に認める変人でした。後者の意味で。勉強ができないという意味ではなく、行動や考え方がヘン、という意味で「アホ」呼ばわりされてましたが、アホ上等と思っていました。今も私の子供がおそらく同じような意味で「パパはおもしろ芸人」と言ってまして、もちろん誉め言葉だと受け取ってます。

妻も、後者の意味で、小さい頃から変人だったと言っています。ただし、もろもろの理由で「アホ上等」とは思ってなかったようです。さらには、いつのころからか、前者の意味でも変人になってしまった。これは、大変です。普通の人になりたくてもなれないのですから。

思うに「変人」は世間一般の常識が通用しない世界にいる。特に前者は、そうならざるをえない。常識が通用しない、ということは、一般的な共感も得られにくいのですから大変です。

ただし、変人には、二つのメリットがあるような気がしています。ひとつは、別の変人に対して「そういう考え方もありでは?」と理解を示すことができる可能性が「普通の人」より大きいこと。もうひとつは「そういう考え方もありでは?」と気づく頻度自体が「普通の人」に比べて高いこと。

これらはなにより、人生の選択肢を増やしているような気がするのです。いろんな意味で、視野が違う。広い狭いではなくて。

そりゃあ、大変です。不安神経症の人を毎日毎晩相手にするのは。でも、そういう人を相手にしていると、普通では見えない世界が見えてくる。変人でない人にも面白い!と思えるようなことが。
具体的にどう?と聞かれるとうまく説明できないのですが、逆にいえば、そういう具体例を積み上げることが、このブログの目的の一つだったりします。

one more thing…

よく妻が言うんです
「ごめんね、こんなヘンな妻で。」

私は返します
「私もヘンよ。わかってるくせに。」

こういった会話が、無病息災の礎となるのかもしれません。

目の前のことを一つずつ、着実に

前回のポストに続きます。後半でちょっと書いた日常の細かいタスクについて。

私にとって「無病息災」のために大切なことは、日頃のメンテナンス、特に朝と夜のルーティーンです。具体的には、朝は子供たちが起きて、上の子が学校に行くまで(私はたいてい上の子と同時に家を出て会社に向かいます)。夜は、私が帰宅してから二人が寝入るまで。
朝はこの半年でかなり落ち着いてきました。夏休みも、2学期の始まりも、なんとかクリアしました。ところがここにきて、今度は夜が問題となりました。

まず、妻にとっての夜のルーティーンは、私が帰宅する前に夕食を作るところから始まります。ところが、妻は食事の準備があまり得意ではありません。いくつかの作業を同時進行でやらないといけないこのタスクが、ADHDには向いてないことは理解できます。しかも、二人の子供の面倒見ながらですから、ここですでにかなりの体力と精神力を消耗します。

さらに、もともと男性より女性の方が寝る支度は大変だし(化粧落としとかお手入れとか)、アトピーや喘息のケア、いくつかの薬を飲むなど、妻は自分の寝る支度だけでかなり時間を使わざるをえません。子供のことまで手が回らないのです。

したがって、私が帰宅して夕食を食べ終わった後、子供を寝かしてつけるまでの作業(身の回りの片付けとか、明日の準備とか、着替えとか、歯磨きとか、絵本の読み聞かせとか)は、かなり私が積極的に関与しないといけないことがわかりました。
いや、最近までちゃんとわかってなかったから、一部のタスクが妻に移転してしまい、クレームが入ったのです。

あなたも一日仕事して疲れているのはわかる。でも、私はこれだけのことを寝るまでにやらなきゃならない。だから、協力して、と妻自身の寝るまでのタスクリストを手渡されました。そうか、これが理解できていなかったんだ。私も子供たちも、これを理解して、夜のルーティーンをこなさなければなりません。

実は、我が家にはかなり前から朝のルーティーンにおけるタスクリストが張ってあります。子供が理解できるよう、ひらがな表記です。今はほとんど誰も見ていませんが、それはみんな覚えているからです。
でも、忘れそうになったとき、いつでも見返すことができるようにすることは、目の前のことを一つずつ、着実にやるためにも大事なことかもしれません。

夜のルーティーン表も早く作らなければ。

何も起こせなかった? 何も起こさせなかった?

日常に追われていると、つい自分のやってきたことを見失いがちになります。特に毎日家事や子育てに追われているとなおのことです。
SNSを見ていると、特に育児しながらすごいことを成し遂げたなんて記事を見ると「自分は何もできていない」ように思ってしまう。でも、その考えはある意味危険なような気がします。

「何も起こせなかった」というのは、進化ではないかもしれない。自分からは何か新しいことを起こせなかった、という意味では。
ただ、悪いことを「何も起こさせなかった」という見方をすれば退化ではない。その意味で、日頃のメンテナンスはとても大切です。おろそかには、できない。

このご時世、進化しなければ後退だ、というのはそのとおりかもしれません。
でも、家事や子育てを考えたとき、「無病息災」というのは、結構大事です。立派な課題達成です。特に不安神経症を抱えた家族を持つ者にとっては。

これは、一種の自己満足かもしれません。でも、自分や子供が病気になったら本当に大変です。直ちにいろんな計画が崩壊し、ストレスがたまります。
だから、自分と子供の健康を守ること(精神面を含めて)、家の中をきれいに保つこと、これは「あたりまえ」ではない。ある意味高度なメンテナンス能力が必要です。

例えば、誰かが病気になる。健康管理をミスったというだけでなく、不可抗力でウイルスをもらってしまうこともあるでしょう。そこからどうやってリカバリーするか、というのは日頃のメンテナンスがモノを言うかもしれません。

メンテナンスというのは、なんとなくネガティブな印象を与えかねず、結構モチベーションを保つのが難しいですね。そこをなんとかするために、二つの方策を考えています。

一つ目は、当たり前と思っている家事育児もろもろの細かいタスクを何かのtodoリストにリストアップして、やったらしっかりチェックを入れること。毎日やって当然ということであっても、この「やった」という認識は意外に重要に思えます。

もうひとつは、何かポジティブな目標に転換する。例えば、早寝早起き。これは健康管理の上でも一つの目標になりえます。実際、これが我が家のこの夏休みの最重要ミッションでした。妻がこの夏比較的落ち着いていたのは、これができたからかもしれません。