自分が我に帰るための、二つの「クモ」の目線(3)

前回の続きです。

前回は、私にとっての「雲」の視点となる3つのキーワードのうちの二つのことを書きました。残る一つは「シンプル」です。

シンプルとは何か?
今の私の解釈は、「広い意味でインプットを選択し、アウトプットのためのゆとりを持つこと」だと思っています。情報、時間、空間。あらゆる面において。

すべては「単純に!」でうまくいく
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私が初めて読んだ「シンプル」に関する本は、これでした。
残念ながら今は絶版のようですが、当時(2003年)はよく売れました。私の持っているのは9刷。初刷から2ヵ月しかたっていません。

この本はシンプルの対象として7つの項目を設定しています。物、お金、時間、健康、人間関係、パートナー、そして自分自身。
この設定が当時の私にとっては斬新でした。単なる空間的な「片付け術」ではなかったからです。前書きに、このような言葉があります。

ここでの「シンプルにする」というのは、わかりやすく単純に生きるということです。
余計なものを身につけず、本来の姿に立ち返ろう、ということなのです。

「余計なものを身につけず」ということは、その前提として「余計なものを受け取らない」ことがあるような気がします。一旦「余計なもの」を受け取ってしまえば、身につけるか捨てるかの選択が必要となる。選択するという行為も必要かつ重要なことなのですが、まず受け取らなければいい、と思い至りました。
いやでも受け取らざるを得ないものはたくさんあるでしょう。家事も仕事もそうです。それでも、このような意識をもつこと自体が、自分を見失うことを防ぐためには大事だと思います。

そして、「本来の姿に立ち返ろう」ということは、本質に迫るために、いろんなことを考えること。余計なものがあったら気が散ってしまい、大事なことを考えるスペースがなくなってしまう。
私は昔も今も、もがいています。いろんなモノと情報に囲まれて、なかなか前へ進めない。自分の進路を、家族の進路を深く考えたい時、やはり余計なことを排除して何らかの「スペース」を作らないと考えることさえできない。

すべての「無駄」を否定するわけではありません。それが思わぬ「ネタ」に転化することはままあることです。でも、「ネタ」に転化するのだって、それ以前に自分の中に何かの考えや直感があって、「ネタ」に結び付けるためにはやはり「スペース」がいるのです。
このブログも私にとって大事な「スペース」の一つになりました。これからもこの大事な「スペース」を使って、焦らず、無理せず、進んでいきたいと思います。

良いお年を。

自分が我に帰るための、二つの「クモ」の目線(2)

前回の続きです。

もう一つのクモは、そう、「雲」の視点です。
私は「蜘蛛」として、いろいろと網を張っていて、引っかかったものに反応する。ところが、その引っかかったものが多すぎて手に負えない、といったことが往々にして起こります。そこで、それらを処理するなりして人生を前に進めるための指針のようなものがあったほうがいい。ボトムアップに対するトップダウンの視点、というと「上から目線」みたいな感じであまりいい印象ではないので、空にぽっかり浮かぶ「雲」をイメージしました。

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いわばこの本に出てくる「ミッションステートメント」のようなものですが、私の場合、ちゃんと文章としてまとまったものはありません。ただ、今までのいろいろな判断から見て、私にとって大切な3つのキーワードを持っています。

一つ目は「シンプル」です。これは次回詳しく述べます。

二つ目は「多様性」です。もし数年前に同じようにキーワードを作れ、と言われたら出てこなかったと思います。この数年で大切にしたいと思えるようになった価値観です。これが今大切なのは3つの背景があります。

一つは「子育て」です。まず、子供は人それぞれで多様性があるということ。また「子育て中の親」という集団が世間の中でマイノリティーであり、世間では「当たり前」だと思っていた多くのことは、実は違うのではないか?と考えるようになりました。
もう一つは、東日本大震災です。これも、私にとって今まで「当たり前」だと思っていた多くのことがひっくり返されました。我が家の家事にも影響を与えました。それは今では落ち着いていますが、やはり広い意味で他の災害に比べて影響は甚大です。
最後に、妻の病気です。今年になって、ADHDや発達障害に関わる方々のtwitterをフォローするようになりましたが、ここでも、世間一般では「当たり前」だと思われていることが、ひっくりかえされます。すごく簡単に言うと「頑張れば、出来る」という常識が通用しない世界。気合いがどうこうではなく、器質的に不可能。それが何を意味するか、真剣に考えるようになったのは、今年になってからです。

シンプルと多様性、というと、一見矛盾する概念かもしれません。多様性というのは、多様な概念があることを「認める」ことであり、全面的に賛成、あるいは依存することではありません。私の中にはある一定の価値観があり、この数年で見聞きした価値観でも、私が賛成できない、あるいは真似したくないものはいっぱいあります。ただし、別の価値観を認めて、私の価値観と比べてみて、変化したり、深みを与えたりするのを楽しめるようになりました。このブログも、多様性を試す道具の一つかもしれません。

三つめは「誠実さ」です。いろんな価値観を認めるとき、あるいはいろんな価値観を持つ方々に接するとき、一番必要なのは「誠実さ」だと思います。これがないと、無用な争いが起こってしまう。言い方を変えると「終わる話が終わらない」。もちろん建設的な議論はいいのですが、終わらないのは、よろしくない。
嘘をつかない、大げさに言わない。そんなに難しいことではないはずなのに、私も日常生活で時々外れてしまいます。なので、このブログでは、ゆっくり考えて書くことのできるこのブログでは、外れないようにしたいと思っています。

この項、続きます(次回で最後です)。

自分が我に帰るための、二つの「クモ」の目線(1)

私のTwitterのタイムラインに、自分は何のために生きているか、とか、自分は誰の役にたつか、といった話が時々流れてきます。

私は正直申し上げて、自分が何のために生きているか?を真剣に考えたことがありません。ただ、なんとなく地に足がついていないような、中途半端な感覚を覚えることが時々あります。私、なんでここにいるんだっけ?みたいな。

そんな時に、我に帰るための糸口として、二つの視点で見たらいいのではないか?と思っています。少々こじつけですが、「二つのクモの目線」と名付けました。

一つ目が「蜘蛛の目線」。今の自分の役割と、その影響度合いのようなものを確認することです。
例えば、私は「自分自身」「世帯主」「コミュニティーの一員」という3つの役割を設定しています。この3つの役割から、それぞれやりたいことや、やるべきこと拾い集めれば、我に帰る糸口がつかめるのではないか、と考えています。

「自分自身」というのは、個人として何をやりたいのか?ということ。他人のことはすべて置いて、これを買いたい、あれをやりたい、あそこに行きたい、といった話。ある意味「安全地帯」の設定かもしれません。これがあれば安心、という感覚。私にとっては、このブログもそのひとつです。
他の二つに比べて、今の私にとってここの範囲は極めて狭いです。狭いからこそ、押しつぶされてはいけないような気がしています。押しつぶされては、あとの二つの役割を全うできません。

「世帯主」は、つまりは家事と育児。妻のケアを含む。今の私にとってこの範囲は広大です。
例えば子供に関して言えば日々の宿題チェックから始まって、習い事の管理、広い意味でのモチベーションの維持なんかも大事。プレゼント(今の時期だとクリスマスプレゼント)を考えるとかも入りますね。
以前申し上げたことのある家族のスケジュール管理や、家の中にあるもろもろの財産管理。悩みは尽きません。

「コミュニティーの一員」は、自分の所属するすべての集団に関すること(家族は除く)。勤め先、近所付き合い、学校や幼稚園の親つながり、趣味の仲間たち、そして、親族。そのつながりのなかで、やりたいことや、やるべきことをピックアップしていきます。
勤め先をここに含めるのはちょっと強引かもしれません(かなりの時間を割いていますから)が、この順番に考えること自体に意味があるような気がしています。うまく説明はできないのですが。

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やりたいことや、やるべきこと拾い集めるというボトムアップ的な考えは、この本で有名になった「GTD」的な考えです。当初私はこれを「亀の目線」と名付けてました。
でも、思えば、コミュニティーの一員であること自体が他人になんらかの影響をあたえている。蜘蛛の巣の糸に少しでも何かが引っかかったら蜘蛛が反応するように。そうか、私は蜘蛛だったんだ。その「反応する」という感覚を忘れないことが、生きている証拠なのかもしれません。

この項、続きます。