追う感覚、追われる感覚

今年も、はやひと月経とうとしていますが、年末と年始で仕事の感覚が違っていることに気づきました。

年末はすごくストレスフルだったのに、年明け以降はストレスが激減。当然仕事の効率もあがるし、家事への影響も少なからずあります。なぜなんだろう?と思っていました。

たしかに年末にひとつ大きな会議があってその準備に追われていたのは確かなのですが、それだけとは思えない。タスク管理方法を変えたわけでもない。家事育児の対応タスクが減ったわけでもない(残念ながらむしろ逆)。なぜなんだろう?

ひとつ明らかに違うのは、年末までは何かに「追われる」感覚だったのが、年明けからは何かを「追う」感覚に変わっていました。何に追われていたのだろう?たしかに「締切」には追われていましたが、それだけとも思えない。では、何なのか?そんな疑問をきっかけに、この本を読みました。

段取り力―「うまくいく人」はここがちがう (ちくま文庫)
斎藤 孝
筑摩書房
売り上げランキング: 88,194

これを読んですぐに「段取り力」が上がったわけではありません(上げる必要はあるのですが)。でも、私の疑問へのヒントは書いてありました。

自分は「段取り力」が劣っている、と言った場合、ではどんな「段取り力」が得意で、どんな「段取り力」が不得手かに気づくことが最初のスタートだ。次に段取りがうまくいかなかったのは、ヴィジョンをちゃんと見ないでスタートしていたのか、ヴィジョンしか見ないで細かいことをやらなかったのか、検証してみることだ。

まず、段取りのやり方に自分なりの得手不得手があるというのは、一つの気づきでした。先にタスク管理方法を変えてない、と書きましたが、そのような細かいレベルではなく、もっと大きな枠の取り方。ある意味、視点の転換、あるいは気持ちの持ちようと言ってもいいのかもしれない。それを変えるだけでもすごく切迫した状況にあるものが、なんでもないように見える。変な話、同じタスクリストを自分の慣れているツールに変えるだけでも状況判断に影響が及ぶのかもしれません。

もう一つ、ヴィジョン、すなわち全体像を見渡すことができているかどうかは、ストレスに大きく影響するかもしれません。言いかえれば、先が見えているかどうか。いや、先が「設定」できているかどうか。
仕事も家事も育児も、本来先が見えない代物です。やろうと思えばいくらでもレベルを高くできる。さらには外的要因で頻繁に「先」が変更されてしまう。ところが強引にでも何らかの終点を設定しないと、途端に終わりが見えないものになり、ストレスフルになる。

今の私は「先」をある程度高くないレベルに設定せざるを得ません。いろんな意味で使えるリソースが限られているからです。それでも、とにかく思い切って「終わりを自発的に決める力」が必要かもしれません。まずは、その気力からか。

マイノリティに向き合う「リエゾン」

 年末年始にこの本を読んでいました。年末、一気に3巻4冊を読了。あまりにハマって他に支障をきたしかねない状況になったので、年越し前後は小休止。今再び読みすすめています。

天冥の標Ⅲ アウレーリア一統
早川書房 (2013-02-27)
売り上げランキング: 5,005

 小説というものは、読む人の頭の中にあるものによっていかようにも解釈できるのかもしれませんが、私はこのシリーズの大きな主題のひとつに「マイノリティ」があると感じています。
 本人の意思とは全く関係のない理由で「マイノリティ」の立場を受け入れざるをえなくなった人々。その集団に対するいわれのない誹謗中傷や差別は、今も止まないし、本巻の舞台である24世紀になっても止むことはないのでしょう。

 捨てる神あれば拾う神あり。24世紀にも、支援者がいます。この本ではマイノリティである「プラクティス」に向き合う存在として「医師団(リエゾン・ドクター)」なる集団が登場します。「医師団」のメンバーであり、本巻の主役の一人であるセアキのおっさんが大好きということもあり、今まで読んだ中では一番好きなエピソードです。
 このセアキのおっさんは、「プラクティス」のはねっかえり(?)をなだめすかし、彼らがこの時代の世界と共存するために微力を尽くします。その全然政治家っぽくないやり方が面白いのですが(政治家を否定するわけではありませんが)、彼のように、マイノリティとマジョリティをつなぐ人、あるいは複数のマイノリティ間をつなぐ人というのは、今後、さらに多様化する世界の中で重要な役割を担っていくような気がしています。

 多くの情報が行き渡り、劇的なコスト低下が進んだ今の社会では、均質化と多様化が同時に猛烈な速さで進行しています。私は年末に書いた通り多様性を重視したいのですが、完全に分断化された世界を望んでいるわけではありません。それぞれの個性は認めながら、やはり、それなりに共存したい。そのためには、セアキのおっさんのような目線を持つことはとても大事だと思うのです。
 私はこれからも、ある面ではマイノリティの一員として、またある面ではマイノリティに向き合う「医師団」の一員として、微力を尽くしたいと思います。

 今年も、よろしくお願いいたします。