まずは落ち着け、そして一歩を踏み出せ

この本は、実はスーパーベターの本よりも前に買ったのですが、消化するのに時間がかかってしまいました。

ここで言うたったひとつの方法とは

「他人をリスペクトしてみる」という手法です。
(略)
本書でいう「リスペクト」とは、「ありのままの相手に敬意をもつ、尊重する」という感じでしょうか。

ということなのですが、本を読み進んでもどうもよく理解できないので、しばらく放置してました。なぜかよくわかりませんが、自分が責められているような気分になったのです。わかりやすく書いてある具体例が、かえってそのような気分に(自分で勝手に)なってしまったのかもしれません。

で、夏休みの宿題のように改めて読み返し、なんとか最後まで読んでみました。そこでやっと納得ができる一文が見つかりました。

「リスペクトしなければならない」のではななく、「力を抜けばリスペクトできる」のです。苦行の話ではなく、解放の話なのです。

あ、そうか。と思いました。筆者は「まずは落ち着け」というシンプルなことを言っているんだ、と気づきました。
私のTwitterのタイムラインを見てると時々思うんです。なんでこんな風に人のことを言うかなあ。もっと落ち着いて考えればこんな言い方にならないのに。まあ、気持ちは分かるし、そう言いたくなる事情はあるんだろうけど。

あ、

本書で「他人をリスペクトする」ことを優先して書いてきたのは、その方がやりやすいからです。
自分についての「決めつけ」は、真実のように思い込んでいる場合もあるので、なかなか手放しにくいと思います。
それよりは、他人を見て、「事情があるんだろうな」と考える方がずっと簡単です。

この一節はその前の引用のすぐ後に書いてあるのですが、ようやく納得できました。人の振り見てなんとやら。そういうことだったのか。

ただし、ここは第一段階に過ぎません。自己肯定感を持って、「~すべき」に縛られた自分を「~したい」に持っていくには、必ず何らかの意志表示が必要であり、ここは細心の注意が必要だと、筆者も指摘します。ここでたたかれたら、せっかく芽生えた自己肯定感があっという間にしぼんでしまう。そうならないよう、たたかれない場、「安全」な環境が必要となります。

安全な環境とは、自分に評価を下されない場所。決めつけられない場所です。(略)「決めつけ」のない場こそ、リスペクトを感じやすいのです。
そして、それは何も特別な場所を必要とするわけではありません。
自分が人と接するときに、「決めつけ」を手放しさえすれば、自分も他人もリスペクトすることができるのです。

私がこのサイトを作ったのは、実はこういう場がほしかったからかもしれません。ただ、誰でもサイトを作ればいいというものではない。人によるでしょう。なんとなくですが、オンラインよりオフラインの方が効果的だと思います。ただ、今までにはない「場」を作るには、あるいは入っていくには、なんにせよ「一歩を踏み出す」勇気が、必要であるような気がします。

人生は、一本道ではない

子供たちの夏休みは、折り返し点を迎えました。

この一学期の子供の通知簿を見ながら、妻といろいろ話したのですが、「(上の子)は、普通に会社員になって事務とか何かする、といった人生歩まなさそうだよね」という点で意見が一致しました。まだ小学校も出てないのに、もうそんなこと決めちゃっていいのか?

学業面の評価が低かったわけではありません。むしろ(親自身の)予想外に高い。行動面での評価を見たり、音楽と図工が好き、という子供の言葉を聞いたりしていると、ああ、単純に偏差値競争に巻き込まれるのはかわいそうだな、と思ったのです。もっとも、今のところ音大とか芸大に行かせる気はないのですが。

そこで思い出したのが、少し前に読んだこのブログでした。

日本の『好きなことやれないサイクル』はヤバい。年を取れば取るほど取り返しがつかなくなるので、若者の皆さんは早めに抜け出してください。

日本では、物心ついたときから個人が常に画一的な物差しによって計られていて、小3くらいからずっとそれに追いかけ回されて、自分が何が好きかといったことに向き合う暇がありません。

これは、確かに気をつけなければなりません。子供が、というより親や社会が。親や社会が「画一的な物差し」を当てたがるのは、単純にそれが楽だから、めんどくさくないからじゃないか、と思っています。画一的な社会を作りたい、という何かの陰謀があるわけではない。ただ単純に、ややこしいことを考えたくないから。そこから抜け出す仕組みなりマインドセットなりは必要な気がします。それには、自分自身に「画一的な物差し」を当てないところから始めなければならないかもしれません。

もう一つ、なるほどなぁ、と思ったのは「ミッドライフクライシス」の話。確かにそうかもしれん。

僕の少ない社会経験から確実に言えるのは、一回社会人になってからこのサイクルから外れようとするのは非常にエネルギーが要るということです。なのでこれから、在学中にこのサイクルから脱する大学生が増えることを切に願っております。

ところで、私は普通の会社員であり、筆者の言う「画一的な物差し」にどっぷり浸かったりして、いい年のオヤジになりましたが「ミッドライフクライシス」はあまり感じていません。なぜか?と少し考えて、気づきました。

この筆者も「罠」にはまっているのではないか?つまり、普通の会社員=画一的な日本人になるか、そうならない=フリーランスか、の二者択一しかない。そんなことはないだろ?と思うのです。現に私の趣味の友人は大半が普通の会社員ですが、『好きなことやれないサイクル』にはまっているようにはとても見えない。

確かに普通の会社員だと、ミッドライフクライシスにはまる可能性は高い。それは認めます。大学生のうちにいろんな可能性を追求するのはとてもいいことです。やりたいことを見つけた筆者に「会社員に戻れ」とは言いません。筆者の「画一的でない」のレベル設定がかなり高く、普通の会社員じゃそんなレベルまで行けないよ、というならそうかもしれない。でも、普通の会社員になったら即アウト、というのはちょっと違うのではないか。

普通の会社員をやりながら画一的な日本人にならないようにするやり方は、いくらでもあるような気がします。人生は、一本道ではないのです。いついかなるるときでも、軌道修正の可能性があります。このブログも、そんな軌道修正に向けた小さなあがきの一つかもしれません。