「拠って立つ処」のためのメインテナンス(1)

もともとこのブログを始めた理由のひとつが妻の適応障害なので、こういう本にはしっかりと向き合わなければなりません。ずっと宿題で私のKindleに残っていました。

ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術 (幻冬舎新書)
岡田 尊司
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この本は、長年適応障害に向き合ってきた医師による、適応障害の入門書です。適応障害の基礎知識、学校や職場などの場面における応用編、最後に適応障害からの脱却、といった構成であり、適応障害になった本人はもちろん、適応障害に向き合う人向けに書かれています。

さて、「適応障害」の特徴を手短に言うと

一言で言えば、居場所がなくて、あるいはプライドを傷つけられ、心が折れかかった状態だと言えるが、適応障害の段階ではまだ復元力があり、不適応を起こしている環境から離れたり、ストレスが減ると、速やかに回復するのが大きな特徴である。

同じ環境(の変化)であっても、適応障害を起こすか否かは、個人差が大きいということである。その人にとっては非常に苦痛な環境も、別に人にとっては快適であるということもしばしばだ。

こうなります。文字通り、自分自身と環境がマッチしないために、いろいろなことが起こる。年齢性別問わずに起こる。サボりたい人がわざと起こすのではない。体が反応してしまう。逆に責任感の強い人にも「ストレスのオーバーフロー」という形で起こる。今まで全く無縁だった人が、ささいなきっかけで起こってしまう。要は、だれでも起こりうるわけです。私もいつ食らうかわからない。

ただし、適応障害は、原因不明の「難病」ではありません。起こるとき、そして治るときに、必ず予兆があります。なぜなら適応障害は自分と環境との相互作用なので、避けがたい突発的なアクシデントを除けば、いきなりは重症化しないためです。

したがって、まずやるべきは、日頃のたゆまぬ「メインテナンス」であると筆者は指摘します。対症療法に至る前の予防です。投薬以上に重要です。そしてこのメンテナンスは二つの意味があるような気がします。

ひとつは、環境や自分や家族の影響度合いを絶えず確認し、適応障害を起こしかねない環境変化を防ぐこと。これは本人はもちろんのこと、向き合う家族にとっても必要だと思います。日々気をつけなくてはならない、というのはかなりしんどいです。でも、重症化してからのフォローは本当に大変で、その苦労に比べればマシかもしれません。

もうひとつは、自分をしっかりと持つ「安全地帯」を築くこと。「安全地帯」は1日にしてならず。家庭は言うまでもなく、家庭以外の安心できるコミュニティに自分を居場所を見つけるのは、どうやっても1日ではムリです。毎日何時間もかけるようなものではないにしろ、やはり日頃のメンテナンスが必要になる。

 

結局、大切なのは「拠って立つ処」だと思います。前者はこれを失うことで発生するストレスを抑えるということ。後者はこれから築く、あるいはすでにあるものを守る話であり、そして、拠って立つ処が、自分の存在価値にもつながる。

しかし、うまくいくとは限らない。その「拠って立つ処」が問答無用で失われるケースがままある。典型的なのが、子育て。子どもたちの世話に追い立てられて、気づいてみれば失っている。意識的に「これは止めよう、止めざるをえない」と言う話ではなく、いつの間にかやらなくなってしまった。これは、実際に子育てしないと実感できない感覚だと思います。さて、どうしたものか?

この項続きます。

変えるのが当たり前、変わるのが当たり前

最近このツイートを見て、ドキリとしました。

まさに同じようなことが、この本に書いてあったのです。

ルポ 父親たちの葛藤   仕事と家庭の両立は夢なのか (PHPビジネス新書)
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この本は、イクメンブーム、ライフワークバランスブームに一石を投じる本です。仕事も頑張って家事も育児も頑張って、なんてありえないだろ?と問いかけます。いろいろ理由はあるのでしょうが、ここではふたつほど取り上げたいと思います。

一つ目は、子育て生活が始まったのに、自分の仕事の質や量がそのまま、ということは有り得ないから。それだけ子育てはデカいプロジェクトである、ということです。昔はともかく、今は間違いなくそうだ、ということ。にもかかわらず、多くの人にその自覚がないこと。

この自覚がない、ということには二つの背景があると思っています。ひとつは単純に子育てが大変だという事実を知らないこと。もうひとつは、それによって何かを手放さなければならないことを認められないこと。

できるだけ早く育児を軌道に乗せるためには、仕事にかける時間やエネルギーをいったん育児にシフトさせる必要がある。その間、仕事のパフォーマンスは下がるかもしれないが、焦ってはいけない。

では、どうすればいいか?その事実を厳粛に受け止めて、軌道修正をするしかない。軌道修正を恐れてはいけないのです。というよりも、変えるのが当たり前、変えない方がヘン、と思った方が気が楽なのかもしれません。当然収入も変わります。男性も女性もそれを受け入れなければならない。簡単にそうならないから、ヒカルさんの嘆きにつながるのですが。

もうひとつは、子育て生活が常に安定している、ということは有り得ないから。だって、子供が相手なんです。常に成長し変化する子供が相手なんです。子供もそれに関わる大人も、常に一定の状態を期待する方が、ある意味おかしい。そりゃメンタルにもなろうというものです。

では、どうすればいいか?目指すのは「動的な安定」だ、と筆者は指摘します。本文で筆者はお手玉とシーソーの例えを出してきます。つまり、ある瞬間だけを見ると、何か一つ(あるいは複数)のことが手に着いていない、あるいは釣り合いがとれていなくても、ある一定時間の幅で見ると遊び(生活)として成立している。これをめざすべきではないか。

これは、思ってもいなかった気づきでした。つまり、まず、状況が常に変わるのが当たり前、変わらない方がヘン、と捉える。その上で、落ち着きどころを考える。だから、夫婦喧嘩を避けてはならない、と筆者は指摘します。

子育てしていれば、家族のあり方は常に変化している。その中で、いくつもの小さなバグが生じるのは当然のことなのだ。そのバグを、その都度適切に修正していくことで、夫婦関係はアップグレードし続けることができる。

多くの人はあるスナップショットだけを持ち出してエンドレスな論争にはまってしまう。私も、常にちゃんとしなければ、と思って勝手にブラック化してしまう。これでは誰も報われない。

一方、考えてみれば遊びもスポーツも、常に状態が変化することを前提として楽しんでいるんです。スナップショットを撮るなとは言いません。また無理にいろいろ変えろとも言いませんが、本来の楽しみは、変化に対応する動きの中にこそあるのかもしれません。子育ても、生活も。