死すべき定め、との闘い(1)

「死すべき定めとの闘いは、自分の人生の一貫性を守る闘いである」

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか
アトゥール・ガワンデ
みすず書房
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この本の著者は、以前取り上げたチェックリストの本と同じ筆者ですが、この本では、本業である外科医の立場で、今を生きる人々の死生観を問い直します。今まさに余命宣告を受けている人を持つ家族、認知症の方への介護で多大な苦労を強いられている家族、いや、そのような事態になる前にこそ読むべき本である、と言えます。

情報化社会により、あらゆる環境が急激に変化する一方、医学の進歩は別の変化を人間にもたらしました。すごく乱暴に言ってしまうと「死にかけている期間」が長くなったのです。

昔は病魔に襲われてから死生観など深く考える間もなく死んでしまったのに、今は違う。自分でやりたいことができなくなってから完全に死んでしまうまでの期間を長くすることができてしまうために、足元の治療方針から家族の死生観まで、ありとあらゆることを考える時間ができてしまった。さあ、どうする?

この難問に立ち向かうため、筆者は何人もの死に至った方々の具体例を上げる一方で、多くの客観的な統計、アメリカにおける介護・医療現場の現状、さらには心理学(マズローの欲求5段階説やカーネマンの「ファスト&スロー」)まで動員して、読む者の死生観を問いかけます。これらが重層的に語られるにも関わらず、筋立てがあまり混乱しなかったのは、筆者のストーリーテリングのうまさはもちろん、「死」という不可避的な結末が見えているからかもしれません。

その上で、幸せな人生を終わり方のために、最も必要なものは、医学的な情報ではない、と筆者は指摘します。このエントリーの冒頭で引用した一文の近くに、このような文があります。

人が求めるものは、自分自身のストーリーの著者でありつづけることだ。このストーリーは常に変わり続ける。(略)しかし、何が起ころうとも自分の性格や忠誠と一致するようなものになるように人生を形作れる自由を保ちたいと願う。

自分自身のストーリーの著者。これは重い言葉だと思います。今、どういう薬を飲むか?どういう治療を受けるか?ではない。今、自分は何がしたいのか?何がしたくないのか?ここに至るまでの自分の来し方に思いを馳せて、ようやくたどり着いた「欲求」。これを自分自身はもちろんのこと、家族も、医師も、わかっていなければならない。

とても難しいように思えますが、そうでもないかもしれません。単純に、前もって話しておけばいいのです。アメリカのある町で、「終わり方」について前もって話し合う人が増えただけでアメリカの平均値に比べて寿命が長い、という事実があるのだそうです。

ただ、私を含めて、たいていの人はそこまで思いがめぐらない。「生きているのが当たり前」と思ってしまうからでしょう。映画の言葉じゃないけれど「始まりがあるものには全て終わりがある」のです。常にではなくても、心の片隅にでも、終わり方について考えておいたほうがいいのかもしれません。

そして、医療的なこと(例えば延命処置をするかどうか)だけではなく「何をしたいか?何をしたくないか?」ということ、それも今だけではなく、時々アップデートすること。これが大切なのかもしれません。

この項、続きます。

「知的生産」と家族

このブログは、「知的生産」とは関係のないところにあるものだ、と思っていました。

この雑誌を読むまでは。

かーそる 2016年11月号
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この雑誌は、知的生産にまつわる雑誌。ブログを書くすべての人に、その書く意味を問い直す雑誌、と言ってもいいかもしれません。

この創刊号のベースとなっている「知的生産の技術」は、私も読んだことがあります。ところが、この本は学者さんが、論文を書くために、様々な知の技法を駆使して、情報を処理していく様を描いたもの、と認識していました。

ネタ元の大半が普通の書籍でしかなく、下書きにはsimplenoteしか使っていないこのブログとは全く縁のないもの、と勘違いしていました。

ところが、それは大間違いである、と倉下編集長が指摘します。

「知的生産の技術」は、市民に開かれたものになるはずでした。「知的生産の技術」の未来は、生活の技術として位置づけられていたのです。でもそれは、脇道へと逸れてしまいました。悲しいけれども、それが現状の姿です。

ここでハッとしました。「知的生産」は学術的なことにも、仕事術のようなことにも、限定されるものではない。「生活」というキーワードが出てきて、一気にこの雑誌への見方が変わりました。

その倉下編集長の問題提起に続く、多彩な執筆陣の文章の全てに感想を書きたいところですが、いっきさんのこの一文が、最も印象に残りました。

あまりに諸事雑事に振り回されて、自分の一貫性がたもてなくなりそうだから、

知的生産をする。

それでいいではないか。
そしてその痛みを、人と分かち合えばいい。

この一文を読んで、正直ホッとしたというか、救われた気持ちになりました。今思えば、私がブログを始めた本当の理由はここにあったから。

そして、この雑誌を読みながら、私が思い浮かんだキーワードが「家族」でした。そもそも、このブログを始める直接的なきっかけは、妻のADHDにありました。このブログにおいて、ADHDそのものへの言及はあまり多くはないですが、そういう妻を持って、そういう妻と共に子育てをする私の目線が、全てのエントリーの根底にあります。

タイトルは、もちろん「知的生産の技術」の下手な文字りです。でも、私がブログを書く理由は、案外この一言で説明できるかもしれない、と思いはじめました。その言葉にふさわしい内容にすべく、これからも精進いたします。

今年もよろしくお願いします。