How might we…

「今日をプロトタイプと考えよう。さあ、何を変える?」

クリエイティブ・マインドセット 想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法
デイヴィッド・ケリー トム・ケリー
日経BP社
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この本は、私のような、いわゆる「クリエイティブ系」な職についていない人を含むすべての人が、「想像力に対する自信(クリエイティブ・コンフィデンス)」を発揮できるようにするためのガイドブックです。

著者によりわざわざ「日本のみなさんへ」という前文があり、そこには日本人に対する心からの応援が書いてあります。世界5か国5千人のアンケートで、日本以外の国の回答者は日本が世界で一番クリエイティブだと言っているのに、日本人は自身が最もクリエイティブだと回答した割合は最低だった。でも、実際はそんなことはないだろ?日本人はもっと自信を持っていいはずだ、と著者は言っています。

もしかしたら、私たちはクリエイティブという言葉を誤解しているのかもしれません。iPhoneを発明することだけがクリエイティブではないはず。誰でも自信を持って、自分の人生を、世界を、変えることができる。ポジティブすぎるかもしれないけれど、著者はそう言いたいのだと思います。

さて、その自信をつけるやり方は、実にシンプル。とにかく、毎日、実践あるのみ。ほんの少しでもいい。何かを作って、何かを変えて、結果を見て、次に進む。それだけです。その具体的な手法や考え方が、この本には満載されています。

その導入編が「恐怖への克服」であることはとても示唆的です。とにかく何か新しいことを始めることに対する恐怖や不安は誰しもが持つことです。特にここ日本では、何か「変わったこと」に対する世間の目は常に批判的です。小さい頃、友達に「その絵へたっぴ〜!」と言われただけで絵の才能を放棄する、というのはよくある話ではあるが、あまりに惜しい。だから、何か突拍子もないことをやって、それを周りの人々に受け入れられるようにするには、それなりの作戦が必要かもしれません。

その幾つかの作戦の中で、特に気に入った言葉が二つありました。一つ目が「カラオケ・コンフィデンス」です。そう、日本が世界に誇るべき文化であるカラオケは、人々にクリエイティブ・コンフィデンスをも与えるきっかけを持ちうるものなのです。なぜ私たちは、ああいう場ならマイクを持って恥ずかしげもなく歌うことができるのか?を考えれば、自分が変わるヒントがあるかもしれません。

もう一つが、タイトルに挙げた “How might we…” です。私たちは、どうすれば〜できるだろうか?なんでも否定するのではなく、仮にこうしたら、私たちはこのようにできるかもしれませんよね?と問いかける。

主語がyouでもIでもなく、weであるのがポイントです。君はこう変えるべきだ、と言われると、誰でも本能的に抵抗する。私はこう変えたい、というと、恐怖感が増す。日本語だと必ずしも主語を明示しないので感覚が異なりますが、とにかくいろんな意味でハードルやガードを下げやすい言い回しだと思います。

冒頭の一文も、この本の中にあった一節です。いかにもプログラマっぽい、いや、ものづくりっぽい言い方ですね。1日1日は、過ぎていくのではなく、作り出していくものなのかもしれません。

ルーチン:ほんの少しのコントロール

あるメルマガに、こういう一文がありました。

自分の人生を生きたけば、自分にそれがコントロールできないことを受け入れなければなりません。ままならないこと。それが人生の特徴です。

そうですね。私の場合は、特に冬から春にかけて、そう感じます。家族の誰かが、ある予定を立てる。その後体調不良となり、ドタキャンする。さらにはそのフォローのため、予定外の行動が発生する。その影響が将棋倒しのように家族全員に波及する。予定を立てなきゃいい、という問題ではない。暮らしの中で必ず発生するルーチンすら実行できない。その実行のために突発の年休が必要な場合もある。

不思議なことに主要因がコロコロ変わるのですが、とにかく上記のようなことが毎年起こる。そしてあの一文を実感するのです。

しかし、これは精神的にかなりつらい。全てを完全にコントロールしようとは思ってないし、できないことはわかっている。でも、いくらかのコントロール感は持っていないと、自分を保つことができない。少なくとも私はそう思います。そんな私がコントロールを失って倒れたら、家庭が崩壊しかねない。それを防ぐにはどうしたらいいか?

そのとっかかりとして、ほんの少しのコントロールを持つための手段として、最近思いついたのがその「ルーチン」の把握でした。

以前こういう記事を書いたことがありました。あれは年間ルーチンの一部分を見渡すことでコントロール感を持とうとする動きでした。ある日、これを年中やればどうなるか?と考えたのです。

そこで紙を持ち出して、ひと月を上旬中旬下旬に分け、年間36マスに思いつく家族の主要行事を書き込んで行きました。すると、全てのマスが埋まらないまでも、2マス連続での空欄はない、ということに気づきました。結構な量です。

一方、この2ヵ月ほどのごたごたで、妻の最重要ルーチンが崩壊していたことが、ある日判明しました。すなわち、病院の通院日程です。異なる科の病院に、毎月3~4回行く必要があります。同時に薬ももらいますから、薬が切れたら大変です。彼女のQOLの低下に直結します。びっくりした私はとにかく通院日程を決めさせて、私が年休取って子供たちをフォローしてでも、妻に行かせました。こういう泥縄のようなことは、あまりやりたくない。

先日、妻と話し合いを持ちました。目的は3つ。まず、妻の月間ルーチンを確認すること(ここで言及した月1回の「対話」=実際にはランチも含みます)。次に、年間ルーチンを眺めた上で、特に3ヵ月先までの予定を確認し(気がつけばその先も)、それに向けて準備すべきことを確認すること。最後に、この「月次作戦会議」を毎月やるのを確認すること。

これをやっても、また何らかのトラブルは避けがたく発生するでしょう。ただ、その発生したトラブルに対する気の持ちようが違うような気がします。変な言い方をすると、真ん前からタマが飛んでくるか、真後ろからタマが飛んでくるか、の違い。どちらにしろタマは飛んでくるのですが、当たっってしまった後の心の持ちようが少しは違うような気がします。