休養という名のタスク

夏休み。
子供たちの世話が一層大変になるこの時期に、逆に「休もう」という話で恐縮ですが…

残念な人類のためのタスク・スケジュール管理術:発達障害就労日誌

先日twitterで取り上げた方のブログです。この方自身がADHDで、読者もADHDの方を想定されたものですが、ADHDに向き合う人、私を含めADHDの方のタスク構築に向き合う人にとっても、非常に参考になります。このエントリで最も強調しているのは、

まっさらの手帳、あるいはインストールしたばかりのアプリに最初に記入するべきは、「最も重要で」「最も実行の容易な」タスクなんですよ。これを軸にして予定を立てるべきなんです。はい、具体的にそのタスクとは何か。休養です。何もしないというタスクです。

私もよく妻に言います。まず、あなたが休む日を取って、と。ところが妻はこれを実行しません。それには、いくつか理由が考えられます。

まず、妻が専業主婦であり、働いている私よりも時間の自由がきく、ということ。これは普通の専業主婦ならその通りですが、妻は普通の専業主婦ではありません。すぐに頭の中が混乱し、子供達を学校に行かせるタスクを終えた時点でかなりの気力体力を消耗し、かつ最低週1回はなんらかの通院が必要です。あっという間に時間が過ぎる。一見平日は容易に「休養」が取れそうなのに、結果的にできない。そして、常に子供がいる休日は言わずもがな。

もう一つは「私よりもあなたの方が大変だから先に(休みを)取って」。日本人の美徳、「譲り合い」の精神です。あの東日本大震災で被災された方が「もっと大変な方がおられる」と静かにおっしゃっていた光景を何度も目にしました。これはこれで(エゴ丸出しよりも)とても素晴らしいことなのですが、これが過ぎると、逆に「物事が進まない」という弊害が発生しかねません。そこで、そう言われたら、私は遠慮なく休むことにしています。でないと、妻が休まないからです。

人間は休日が大好きなくせに、いざスケジューリングをする段になるとそれを一番おろそかにします。しかし、このガンガンスマホが鳴りメールが届きラインがピンピンいう時代に、「休養を取る」というのは立派なタスクです。そこには明文化された意思の力が必要です。

そう、意志の力。「休養」というタスクは、実行は容易なのに、設定はとても困難です。特にやりたいことがいっぱいあるのに、そのやりたいことを押しのけて空白の時間を設定するということは、ADHDでなくても、実はとても勇気がいることなのでしょう。

そういう私も「休養」は滅多に取れません。家は休息の場所ではなく、常に家事育児に追われる「戦場」です。子供に対して、あれやれこれやれ、と言っている一方で、こちらが何もしないと「何サボってるの?」と言われかねない。だから子持ちの親御さんはなおのこと「休養」が取りづらい。これは本当に実感しています。

ただ「休養」というタスクは、「できるときにやっておかないと、いつまでたってもできない」という感覚に対する抵抗ではない。むしろ逆で、「休養」を意図的に設定することで実行可能な時間が制限され、本当にやりたいことが無意識にしろ選別される。

「子供に対してできる限りのことをしてあげたい」という思考に対する裏切りでなく、最終的には家族全員の心の平静という最も高い価値を産むもの。「休養」というタスクは、「サボる」というネガティブな感覚とは逆に、Quality of Lifeを高める近道の一つなのかもしれません。

どこまで削るか、どこまで言うか

私がワークライフバランスをなんとか維持してこれた理由が、これを読んでなんとなくわかってきました。

私はこれまで多くの上司に仕えましたが、このようなまともに「阻害する」タイプには会わなかったような気がします。職種によるところも大きいのですが、一つの大きな理由は、最初から自分の仕事を「制限」し、それを明確に宣言したからかもしれません。

ただ、問題は二つあります。どこまで制限し、どのように宣言するか、です。

私がワークライフバランスを維持できたのは、一つには単純に仕事の分量を減らしたからですが、なんでも減らせばいい、というものでもない。

自分が生活するための最低限のライン、そこまでなら減らせるし減給も受け入れられるライン。そこを探るには案外難しいような気がします。それこそ微妙な「バランス」が必要です。これが今のところたまたま上手くいったから、今の生活が成り立っている。仕事を増やすのは簡単です。なんでも言われたことを引き受ければいいのですが、減らすのは難しい。単にやめればいい、という問題ではない。

私の勤めている会社では、年度初めに各人の「目標」が設定されます。これは上司が勝手に決めるのではなく、まず自分が書いて、上司と相談の上で決めることになっています。ここで、ある大枠が決められる。これ以上のことはやらなくていい。もちろん諸事情で「これ以上のこと」をやる可能性はあるのですが、まず年度始めにベースラインを設定しておくことは、とても大切なことだと思います。

もう一つは、これを「明確に宣言」すること。これも言えばいいという問題ではありません。労働者の権利として、やった分にはお金をもらう。やらない分にはもらえない。その原則に従っていればやらない理由はなんだっていい。というのは、言い過ぎかもしれません。単に遊びたいから仕事を減らしてください、では論理的にはともかく、感情的には受け入れがたい。

さらには、話を聞く側の人(つまり管理者側)が「戦線拡大」つまり成長するのが当たり前というマインドだと仕事を減らすことを単純に理解できない、という反応も考えられます。しかし、そういう人も今後は減るかもしれません。というのも、幸か不幸か、話を聞く方も親の介護とかなんとかで「戦線変化」の問題は身近に感じているはずです。私の場合のように、妻が病弱で家を回すのが大変なんです、というと、これは人生における「戦線変化」です。仕事の面では縮小だが、家庭の面では拡大している。しかもその拡大/縮小の状況は常に変化している。ここにも「バランス」が存在する。

それでもとにかく、まずは言わないことには始まらない。理由は一通り整えた上で、シンプルに、できないんです、と。それこそが強者の論理と臆病者の論理を越える第一歩かもしれません。