立ち止まり、省みる(2)

前回の続きです

マジメすぎて、苦しい人たち―私も、適応障害かもしれない…
松崎 博光
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先日、妻にこう言われました。
今の生活は、達成感を実感しにくい。だからストレスがたまる。
結構重い一言でした。

妻は、専業主婦です。「あなたは仕事をしているから、達成感や自己実現を味わうことができるけど、私にはこれがない。仕事に戻りたいのは山々だけど、こんな体調で、こんな環境で戻れるわけがない」妻は、こう言います。たしかに、そんな大きなことをしているわけではありませんが、今の仕事に達成感がないといえば嘘になります。

一方、家事育児には明確な「ゴール」というものが存在しない(大学に入れること自体が育児の目的か?と言われるとちょっと違う気もします)ので、達成感や自己実現を感じずらい。これもわかります。私自身も何か徒労感を感じていたのは、この辺りに関係するのかもしれません。

こういった場合、どうすればいいのか?満たされない感の対象は「当面の暮らし全体」のような気がします。だとしたら、そのスコープを細分化するか、あるいは思いっきり俯瞰するか、ということが考えられます。前者は、よく言われる「タスクの細分化」です。細かいタスクの成功を通して、小さな達成感を積み重ねる。では、後者は?

私はいつも患者さんに「人生はマラソンだ」ということを言っています。観客に声援を送られ、激励されたからといってスピードを上げ、途中で脱落してしまうよりは、マイペースで最後まで完走できる方がいい。

そう、人生全体。最後にどうなるか、という視点。これは日々の生活に追われている多くの人々(もちろん私を含む)にとってなかなか持ちにくい視点です。でも、とても大切です。

もう一つは、自分のペースを忘れないこと。今回の大ピンチの要因は、まさに私が自分のペースを忘れて変なところでダッシュしてしまったことにほかなりません。

しかし、今回ひどい目にあったことは、悪いことではない。今までやってきたことがオーバーペースだということが、明確に認識できたから。

適応障害になったということは、努力や忍耐、社会的適応だけではない、ほかの価値に気づいて生きていくためのターニングポイントが訪れたということかもしれません。
「新しい自分、新しい生き方を見つけるチャンスになった」と考えれば、適応障害を起こしたことは、むしろ今後の人生にとってのプラスポイントになっていきます。

この視点は、こういう心境になって初めて実感しました。やはり、ターニングポイントだったのでしょう。いきなり何かが変わるわけではない。しかし、視野が変わることはこの先とてもジワジワ効いてくるような気がします。

立ち止まり、省みる(1)

自分を省みて、これはまずい、と思いました。
その時、妻の本棚にあったこの本が、ふと目に止まりました。

マジメすぎて、苦しい人たち―私も、適応障害かもしれない…
松崎 博光
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この本には「適応障害」の具体的な症状の説明、治療法、そして適応障害にかかりにくくするための対処法といったことが書かれています。私は、この本の定義によれば、まだ適応障害ではありませんが、一歩手前の状態。そこで、この本に書かれている「対処法」の部分がとても参考になりました。

ところで、前回のエントリーで「決断した」と書きましたが、まずは、自分に関する「やりたいこと」を削減しました。感覚的にですが、今回はかなりバッサリ切りました。効果が現れるのはこれからであり、いきなり何かが劇的に変わったわけではありませんが。

自分の「やりたいこと」の見直しは以前にもやったことがあります。ただ、今回初めてやったのは、同時に妻にも「やりたいこと」を減らすよう要請したことです。

妻はADHDの傾向があり(正式な医師の診断は受けていませんが)放っておくとすぐに「やりたいこと」を増やす傾向にあります。それが自分で全部できればいいのですが、たいていできないため、それが家事育児の「やるべきこと」に影響する。そして、それをフォローする私の精神が崩壊し始めたのです。すでに妻がなっていると思われる適応障害に、私自身もなってしまいかねない、と気づきました。

平日でも仕事と家事育児に全力投球している私が、いくら子供がいるからといって、土日に全く休めないのは、どう考えてもおかしい。いろいろなことを根本的に変える必要がありました。具体的な「リスト」だけでなく、考え方を、フレームワークそのものを変える必要がありました。そのためのキーワードが、この本に書いてありました。

適応障害を克服するには、それを起こす環境に適応しないことが一番です。「適応障害にならないためにはどうしたらいいですか?」「無理に適応しないことです」こんな禅問答のようなことが問題を解決する有効策です。

私の場合、これ以上無理に適応しない、ということは、妻に対して「ごめん、これ以上(のサポート)は無理」と宣言することを意味しました。これは正直きつい。妻のtodoを増やす可能性をはらんでいるからです。でも言わなければなりませんでした。これをしないと、私のサポートが急にゼロになって、明確に妻への負担が増えてしまいます。

もう一つ、キーワードというより、反省すべきことがありました。それは、私が「自立」の意味を完全に取り違えていたこと。

自立というのは、誰にも何にも寄りかからず、ということではなく、寄りかかったり寄りかかられたりしながら自分の足で立って考え、動けることを言いますが、自立した生活こそがストレス弾を防ぐ盾になってくれます。

そうでした。私は明らかに適応障害にハマっている妻に寄りかかることは、よくないことだ、と思っていました。私がマジメすぎるのかどうかは、正直よくわかりません。ただ、明らかにマジメになるべき方向性が間違っていたのかもしれません。

この項、続きます。