自己肯定感と承認欲求の間

これを読んで、ハッと思いました。
なんで私のブログはこんなに淡白なのか、ようやく気づきました。

自己肯定感の高い旦那と、私の違いを比較表にしてみた:ひびわれたまご

このブログは「ADHD当事者ママ」の志乃さんが、いろんな意味で正反対の旦那さんと比較されています。私は明らかに「旦那さん」寄りです。私はそんなに自己肯定感が強いわけではないとは思っていますが、(軽度のADHDを自覚している)妻に比べれば、確かにある方です。

で、この比較の後で、志乃さんがズバリと指摘されます。

旦那は「自分は自分である。」と、自分の中で完結しているので、承認欲求や自己顕示欲が低く、それに伴い「他人に気持ちを伝えようとする意欲」が私に比べて低いのが分かります。

はい、その通りです。と言っているような私が、ブログを書いていてはいけませんね。なんで私のような境遇の人のブログが少ないのか、ADHDの方と向き合う一方で性格がADHDと真逆な方のブログがあまり多くないのか、この辺りに原因があるのかもしれません。

この記事で一番気になった言葉が「自他の境界線」でした。自己肯定感と他人への承認欲求の間にあるのか、この境界線のような気がします。

かなり以前、「自分は自分」との思いから、自分の「城」を作るためのブログを書きたい、もっと具体的に言えば情報管理やタスク管理に特化したブログを書きたい、と思ったことが一時期ありました。今もその方面のブログはよく読みますし、時々そういった記事をここで書くのはそのためです。

ただ、広い意味でのライフハック系の分野は、多くの読者を持つブログがたくさんあり、間違いなくレッドオーシャンです。そういう分野でやっていくためには、単なる自己顕示欲の問題ではなく、周囲に流されず自分を強く律することが必要で、そんなことができるか?と思っているうちに興味の対象が変わっていきました。

今、このようなブログを書いているのは、「自分は自分」と思いつつも、ニッチなところで何か人様に少しでも役立つかもしれない、とも思っているからです。強くはないとはいえ、確かに承認欲求はあります。

一方妻は、まさに自他の境界線が弱く「他人事とは思えない」性格です。ワンオペで苦しむ子育てママを応援したいという気持ちが、とても強い。強すぎて足元の我が家のチェックがおろそかになって、こちらがストップをかけなくてはならないことがままあるのですが、ある面ではとてもいいことだと思います。

その妻が「生活が落ち着くと、Twitterでつぶやく頻度が減る」と言ったことがあります。これは、先述のエントリーの続編で志乃さんが言及されていた事実とも関係します。ある意味表裏一体なのでしょう。

これから先も良好な夫婦関係を築いていくために、私がいま大切にするべきことは、「違い」を魅力として、磨いていくことかもしれない。

この指摘はとても大切だと思います。一方で、夫婦生活を続けるうちに、真反対であるお互いの性格を理解するだけでなく、自分の性格が少しずつお互いに近づいていく、ということも目の当たりにしています。それが夫婦生活の妙の一つかもしれません。

追記
人気ブロガーの方が、みんな自己肯定感が弱いということはないとは思います。そのような問題とは別に、ブログに対する強い情熱というのは、間違いなく必要な条件なのだと思います。

感謝の種、考えの種(2)

前回の続きです

かーそる 2017年7月号
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前回、この本のタイトルの前に「文章を」という言葉が省略されている、とわざわざ書いたのはわけがあって、これで「メモを」が前に来たら、きっと異なる話になっただろうな、と思ったからです。

Hiroshi Nagai ロルバーン ポケット付メモ M

私が今使っているプライベート用のメモ帳はこれです。ズボンのポケットにギリギリ入る大きさで、紙質も悪くなく、5mm方眼なので、書き方にあまり制約がありません。しかも、表紙がモノトーンではなく、ポジティブな感覚を受けます。

以前このロルバーンと似たサイズのモレスキンに日記を書いていたことがありましたが、長続きしませんでした。毎日家事育児に追われる身としては、毎日必ず家で落ち着いて書けるとは限らない。かといって通勤電車の中で立とうが座ろうがモレスキンを書くのは物理的に無理があり、日記はいつでも断片的にでも書けるデジタルツールが私にはあっているようです。

今使っているこのロルバーンは、日記向けではありません。カフェのようなとにかく落ち着ける場所で、思いついたことを書く。しかもたいていはこれからやりたいことについての箇条書きが多いです。このブログで書きたいことも書いています。毎日書いているのではありませんが、ゆるいライフログみたいなものかもしれません。

そして、このメモを書く際のルールを二つ作っています。一つは、このメモを書く際はスマホは見ない、ということです。書いているうちに調べたいことがあっても、あえてその場では見ない。そうやって、メモに集中するようにしています。

もうひとつ、このメモは絶対に他人には見せません。自分のためだけの伝言、自分のためだけの断片を書く自分だけの基地、と考えています。そういう位置付けにしてこそ、落ち着いて書ける。家は落ち着けないので(家はある意味常に戦場)、家の中で開くことはほとんどありません。なので、プライベートのことしか書かないのに、このメモの定位置は仕事鞄の中です。

こうやって、書きたい動機を考えていくと、書きたい道具だけでなく、その置き場所まで定まっていく気がします。また、そうやって動機を突き詰めて考えた道具にはそんなに簡単に飽きがこないのではないか、と思っています。もっとも、このロルバーンはたまたま「LOFT」で別の買い物をしている時に見つけたので、そういった偶然も必要かもしれません。

私の書く動機は、感謝の種と考えの種を書くこと。そして感謝の種も、考えの種も、心が落ち着いている時こそ書けるものだと思います。そんな場を提供してくださる道具の皆さんにも感謝したいです。

感謝の種、考えの種(1)

やっと、これを読む余裕ができるようになりました。

かーそる 2017年7月号
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このタイトルは、この前に「文章を」という言葉が(おそらく意図的に)省略されている、と感じました。「文章を」というよりは「ブログを」といった方がいいかもしれません。書いている方々がブロガーなので当たり前といえば当たり前ですが、道具と動機をいろんな意味で深く考えれば、ブログを含む「文章を書くこと」が長続きできるかもしれません。

さて、私がこのブログを書いている動機が、現時点では、3つあります。

一つは、自分を解き放つため
もう一つは、自分を律するため

一つは、日頃仕事家事育児に追われている自分を解き放つため。前回の「かーそる」のコメントでも私は似たことを書いているような気がしますが、今回も、いっきさんの言葉に深くうなずきました。

だから私は、もう長いこと「本当の意味で自分を喜ばせることができるのは、世界の中で自分だけだ…」という思いの中にいる。

そして、いろいろなことを考えながら書いているうちに自分自身が変わっていく、書き始めたときには思ってもいなかったことに気づく、という経験を何度かしています。編集長の言葉です。

ある種の文章の書き方をするとき、<自分>は変容する。その書き方のことを、私は執筆と呼びたい。

「文章を書くこと」は、幾多の趣味と違って、どこか特定の場所でしかできないことではない。特殊な道具も必要ない。最低限の時間と、空間と、道具さえあれば、たいていできる。自分を変えることさえできる。こんないいことはない、と考えたから、このブログも続いているような気がします。

一方で、ある時点からこのブログは2週間に1回書く、と決めています。スタート当初は勢いに任せて毎日書いてましたが、やはり周辺の環境を考えるといろいろ無理があり、だんだん間隔が長くなっていきました。それでも、自分にとって適度に続けられる頻度が2週間に1回である、と気づいた時、逆に絶対これ以上は延ばさない、と決めました。

私は自分のプライベートの予定を立てる時、まず抑えるのが、このブログの新しい記事を書き始める日程なのです。やりたいことや、やるべきことがどれだけあったとしても、これだけはちゃんとやる。そして、このブログを律することで、なんとか自分を、自分のプライベートを律することができているような気がします。

で、動機がこの二つだけなら、日記でいいではないか?という話かもしれません。ではなぜ全世界に向けて文章を公開するのか?それが、3つ目の動機

書くきっかけを与えてくれた人への感謝の意を表すため

このブログは、私の妻や友人等には一切その存在を知らせずに書いています。それは第1の動機に関連するのですが、妻や友人等に知られるリスクを冒してでも、日記ではなくブログにした理由は、この3つ目の動機があるからです。

書くきっかけを与えてくれた人、つまり自分を解き放つきっかけを与えてくれた人に「ありがとう」と言いたい。それだけなんです。うまくいけば、本人とやりとりができるかもしれない、という想いもあり、実際それはかなり初期の段階で達成されてはいるのですが、それは直接な動機ではなく結果であって、書いて公開した時点で、もう動機はほぼ達成されているのです。

そして、感謝の種を少しづつ植えることが、自分を解き放ち、自分を律することにもつながっているのかもしれません。

この項、続きます。