情報と家庭が交わるところ

「しかしそんなものは、どうせ全部保存しておくことはできない。あきらめることですな。」

情報の家政学 (中公文庫)
梅棹 忠夫
中央公論新社
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この本は、あの「知的生産の技術」の梅棹忠夫氏によるもの。情報論、家庭論、知的生産の技術論を組み合わせて発表した講演やインタビュー、論文などをまとめたものです。1988年に刊行され、2000年に文庫化。名前からして興味が湧いたので、珍しく中古の文庫本を取り寄せました。

こういう成り立ちの本なので、同じような論旨が複数回登場します。煩雑といえば煩雑ですが、インタビューでの表現と論文での表現が異なってくるから面白い。冒頭の一文は『婦人画報』1969年12月号に掲載されたインタビュー記事の一節ですが、とにかく痛快。「すてる」とか「もやす」という言葉がバンバン出てくる。今ならそう抵抗は感じられないかもしれませんが、50年も前に奥様方に向かってこれを言い切ったのはすごい。編集部には抗議の投書が殺到したんじゃないだろうか、と心配になるぐらいです。

考え方はとてもシンプルです。一言で言えば、モノや情報の新陳代謝の仕組みをあらかじめ作っておくこと。これがないから、家の中が破綻する。それだけです。この本には「京大式カード」自体は登場しませんが、その代わりに活躍するのが「フォルダー」です。これを大量に備えておいて、必要な書類を取り込んで50音順に配列し、いつでも取り出せるようにする。一方、すべての部屋に必ずゴミ箱を常備しておき、いつでも捨てることができる状態を保つ。これは”GTD”のデビッド・アレンと同じことを言っているような気がします。50年も前にです。

また、オフィスと家庭の最大の違いは、家庭は書類以外のモノがやたらと多い、ということ。しかも「思い出」にしたいから捨てられないものが多い。そこに対して筆者は「あきらめることですな」とあっさり言い切る、だけではありません。この一節の直後にこう言っています。

保存したかったら、写真にとってのこせばよい。

つまり、シンボル化を推奨しているわけです。彼はミニマリストではありません。収入の許す限りモノはバンバン買っていい、と言います。一方で物理的な限界がもちろんある。そこをつなぐのが「フォルダー」であり、ゴミ箱であり、写真によるシンボル化なのかもしれません。

そして、その「フォルダー」を集めて、「家庭における情報センター」が必要だ、と筆者は主張します。

家庭においても情報の出し入れが激しくなってくると、主婦のためのデスクが必要になってきます。電話とノート、ファイルのためのキャビネット、カード・ボックス、一時的なメモのための白板などを装備したコーナーが必要となのでしょう。

なぜ主婦のためのデスクが必要かというと、家庭の情報の入出力は主婦が握っているから、ということなのですが、この状況は時代の要請によって変わっているかもしれません。ただ家庭の情報の入出力を夫婦共同で行っているとしても、主婦のためのデスクは必要な気がします。主婦のためのパソコンだけではなく。

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