ダンボール10箱の生活

このブログのタイトルの通り、私はシンプルな考え方や生活を目指そうとしていますが、その最終形がどこにあるのか、明確にはできていません。ただ、ある日この本を読んでいて、少なくとも途中経過としての具体的な考えが頭に浮かびました。

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする
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筆者が学生だったころ、非営利組織のビジョンおよびミッションステートメントを評価する作業のなかで、この一節が異彩を放っていたそうです。

彼(注:ブラット・ピット)はハリケーン・カトリーナに襲われたニューオリンズの復興の遅さに苛立ち、自らメイク・イット・ライト財団を設立した。その目標はこうだ。 
「ニューオリンズの下9地区に住む世帯のために、低価格で環境にやさしく、災害に強い家を150戸建設する」
このステートメントは、教室の空気を一変させた。

やはり具体的でリアルな数字があると、切迫感が格段に違います。これを読んで、ふとした考えが浮かびました。

自分に関するモノを「ダンボール10箱」におさめられないだろうか?

私はこれまで10回ぐらい引っ越しを重ねてきましたが、そのたびに運送屋さんから「荷物が多いですね」と言われてきました。これは結婚する前からそうでしたので、家族の問題ではなく、私自身がモノを持ちすぎる傾向があるようです。

例えばモノを300個に制限する、という考えもあるでしょうが、数えるのが大変なので、もう少しイメージしやすい考えとして浮かんだのが「ダンボール10箱」でした。ダンボールの箱に統一規格があるのかどうかわかりませんが、一人で持てるだけの大きさと重さを想定してみれば、この棚のこの部分で1箱、ぐらいのカウントはできそうです。

自分に関するモノ、というのは、衣類、書籍、音楽CD、書類、電子機器、鞄類、小物類、すべてを含みます。ざっと見て、現状は少なくとも20箱は超えそうです。ということは、半分は捨てる必要がある、ということになります。

一方で目標としての10箱のうち、先述の要素にそれぞれ何箱分をあてるか?と考える必要が出てきます。大きさだけで決まるものではありませんが、この区分けは自分の生活の指向を大きく反映しそうです。そして、その基準となりそうなのは

自分の生活を管理するにあたって必要なモノは何か?
自分に快適さを与えてくれるモノは何か?

この二つのような気がします。前者は税金を含めた広い意味での財産管理がまず浮かびます。紙で持っておく必要があるモノが少なくありません。後者はかなり電子化されたとはいえ、手元に持っておきたい本やCDがあります。ただ、今あるモノが全部必要か?といえば、そうでもないかもしれません。無人島にダンボール1箱分だけ本を持って行ける、kindleはダメだよ、と言われたら何を持って行くか、と考えるといろいろな想いが浮かびそうです。

以上はすべて、ある意味思考実験です。ただ、仮に私が急にこの世を去ったとき、残されたモノを見て私がどういう人だったかを連想することになるでしょう。その意味でも、あまりおろそかにはできない気もしています。

color your scrap, color your life(3)

もう一つのきっかけは、EVERNOTEでした。

毎日書く日記とは別に、時々スマホで撮った画像をEVERNOTEにアップして、一言添えるという「日記のようなもの」を書いています。今日1日いろいろあって、夕方近くのスーパーに食材調達に出かけてホッと一息ついた時、なんということのないスーパーの風景を撮ってアップして「あー、疲れた」と一言書くだけ。もう疲れてそれ以上書く気力が残ってないのです。

で、後日そのスーパーの写真を見て、その日のことを思い出せる。詳細はともかく、あの日は大変だったな。と容易に思い出せるのです。あれはなんなんだろうと思っていました。あ、そういうことだったのか。

カードは見た目が100パーセント R-style

「読む」という行為が一定の認知的負荷を生じさせることと関係しています。逆に言えば、「見る」は「読む」に比べるとダイレクトであり、意味解釈という作業をすっ飛ばせるのでクイックリーです。

先述の気まぐれ写真日記も、一種の「日々の生活の断片に彩りを添える」行為でした。これは単純に見た目がのっぺりしない、というだけではない。ある意味1000文字書くのと同じだけの効果がある。認知的負荷というある種のストレスなしに再確認ができる。アウトプットとインプット双方に効果があったのです。

ところで、このブログも、毎回画像を出しています。もともとは、初心者向けのマニュアル本に習ってやってみただけなのですが、なんとなく文面に関係しそうなキーワードを思い浮かべて、フリー写真素材サイトMorguefile.comを検索して、ありがたく使わせてもらっています。

で、たまに過去の内容を見返すとき、書いたことそのものを思い出すのはもちろんの事、その書いたときの気持ちをも思い出すことがあります。これはこのブログを見にきて下さる方にはわからないと思いますが(その気持ちとエントリの内容は関係がないので)、自分にとっては密かな楽しみでもあります。

ただ、先ほどのR-styleをエントリを見るまで気付かなかったのですが、これらをカードのように並べて一覧すると、また違った情景が浮かび上がるのかもしれません。個々の画像だけを見ただけではわからない印象が。例えば青っぽいのが多いという単純な話から、選んだ画像の静物、建物、風景のいろんな傾向が見えてきて、それが一種のモザイクのように浮かび上がってきそうです。

というわけで、今回の画像は「mozaic」をキーワードにしました。一度このブログをscrapboxのようにカード形式に並べてみると、別の情景が浮かぶかもしれません。

color your scrap, color your life(2)

もうひとつのきっかけは「タスクダイアリー」でした。

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これまでいくつかタスク管理のやりかたを試したものの、うまく行きませんでした。どうしようか、と困ってきたところで、この本を再読してタスクダイアリーというやり方を始めることにしました。

とにかく1日1枚、タスクダイアリーを作り、今日はこれだけやる、というタスクを書く。もし別のタスクを思いついたとしても、よほどの理由がない限りすぐはやらず、メモしておいて明日以降にやる、という考え方です。さらに、毎朝必ずやるルーチンタスクをまとめた「デイリータスクリスト」と、週末に必ずやるルーチンタスクをまとめて「週末タスクリスト」を作りました。これらは純然たるチェックリストで、追加訂正することはありません。都合3つのリストでタスクを運用してみました。

で、これまた紙でやってもいいのですが、スマホさえあればすぐ見られるウェブサービスでやりたい。その方が私には合っていると思ったからです。ところが、今まで使ったタスク管理のウェブサービスには「1日1枚」という概念がありませんでした。

もちろん「今日中にやるべきタスク」を検索し、表示することはできます。しかし、文字通りシートの形で見せてくれるものではありませんでした。「1日1画面」と「1日1枚」では、なんとなく感覚が違うような気がしました。そこで仕方なくGoogle Keepに手入力することにしたのです(実際にはひな形を作ってコピーしています)。

このGoogle keepによるタスク管理は、今のところ案外うまく行っているのですが、私が思うに、その理由が3つあります。チェックボックスがあること(どこまでやったかがすぐわかる)、見た目がカード形式であること、最後に、そのカード毎に個別に色がつけられることです。

私の場合、当日のタスクダイアリーは青、当日のデイリータスクリストは赤、当該週末の週末タスクリストは黄色。昨日以前のリストは色を変えています(その後別のところに履歴を残して削除)。これにより、今日のタスクはどのシートかが、すぐにわかります。ピン留めして最初の項目にするという手もあります。でも、色の方が一目で見分けがつきやすいのです。

こうして、タスクが断片化(というよりはグループ化)され、その断片に色がつきました。この彩りは、私のプライベートの生活をしっかりと管理してくれています。すべてのシートの色が白のままだったら、ここまでうまくいかなかったかもしれません。もしかしたら「色」には、この本の最初に触れられている「衝動の脳」をうまくごまかして、タスクに集中させる働きがあるのかもしれません。これは個人の感覚だけかもしれませんが。

この項、続きます(次で最後です)。

color your scrap, color your life(1)

きっかけのひとつは、バレットジャーナルでした。

「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル
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バレットジャーナルとは、ライダー・キャロルさんという方が開発した「ノートによるスケジュール・タスク管理システム」です。

大事なことを即座にとらえ、ひと目ですぐ理解できる記録の仕方を試行錯誤し続けた結果、できあがったのがこのバレットジャーナルというシンプルなシステムなのです。

バレットジャーナルの原点はタスク管理なのですが、この本に書いてある幾多のバリエーションを読んで、わたしは、日記のつけかたを変えようと思いました。ある特定のマークをつけた箇条書きのようなやり方が、手軽で飽きがこないのではないか、と考えたのです。

手書きでいくつものフォーマットを考え、それらを組み合わせて凝った手帳を作るのには憧れるのですが、残念ながらそんな時間がない。そこで、箇条書きが手軽にできるウェブサービスを探して、たどり着いたのが、workflowyでした。workflowyはハッシュタグが使えるので、目印代わりに各項目の頭にタグをつけることにしました。といっても、単純に「いいこと」「イマイチなこと」「よくも悪くもないこと(コメント)」の3つだけ。

さらに、Firefoxの機能拡張”stylish”を使って見栄えを変えることができることがわかったので、ものは試しとやってみました。私が使ったのは「colored tags」。さきほどの3つのハッシュタグに「色」をつけてみたのです。これで特定の数文字を入力するだけで、自動的にカラーバッジがつくようになりました。

このようにして、日記が断片(scrap)に分割され、その断片に色がつきました。ところが、それだけなのに、日記に対するモチベーションが格段にアップしました。その日が、自分にとっていい日だったか、イマイチの日だったか、ひと目でわかるようになったからかもしれません。目印や絵文字でもわかるとは思うのですが、単なる3色のシンプルな表示の仕方が、私には合いました。

これは個人的印象で、誰にもお勧めというわけではありませんが、自分にとっては、小さな発見でした。何となくですが、無味乾燥っぽく見えた日々の生活にわずかながらの彩りがついたからかもしれません。そして、「ひと目ですぐ理解できる記録」のために「色」の果たす役割は、小さくないのかもしれません。それから、自分の「ログ」を記録する時に「色」を少しずつ意識するようになりました。

この項、続きます。

「デスマーチ」を生き残るために(2)

前回の続きです。

ソフトウェア開発とはほぼ無縁の私がこの本を通読することができたのは、個人的に興味のあるテーマだったことのほかに、

「このスーパー・ウィジェット・システムは、何が何でも、絶対、必ず、1月1日までに完成させねばならない。でないと、世界が破滅する」。この指令が何段もの社内官僚の層を通過すると、どんどん尾ヒレが付いて、次のようになる…

こんな感じのちょっと皮肉めいたユーモアが、ほぼ全編にわたってまぶされていたからかもしれません。

さて、筆者がデスマーチを生き残るために最初に注意すべき点は「政治」である、と指摘します。プロジェクトの中身ではありません。上記の引用も、この「政治」について書かれた一節です。

ソフトウェア開発でも多種多様の関係者がいるのでしょうけど、子育ても同様です。実家、親類、先生、ママ友。自らの「プロジェクト」の方針に対し「味方」となってくれる人は誰か?常に気を配らなければなりません。同じ人が(本人の意思とは関係なく)いつの間にか味方から敵に変わってしまうことも、残念ながらありえます。

さらには、SNSを含むネットに流れる有象無象の意見も、その影響力はバカになりません。子育ては、ソフトウェア開発よりも変動要素が大きい(文字通り24時間何が起こるかわからんのです)ゆえに、「政治」は大きな問題点かもしれません。

もちろん影響力を最小限にする、つまり人付き合いやネットとの接触を減らす、という選択肢もありえますが、昨今の子育てではあまりお勧めはできません。親だけで全てのミッションをこなすのは物理的に不可能と言っていい。ただ、子供の成長に合わせて、近しい「関係者」をこちらから意図的にシャッフルすることは、考慮すべきでしょう。

本書の後半では「時間の管理」についても一章をさいて述べられています。ただ、ここでは管理ツールの名前が出てくるわけではなく、なぜ無駄に時間を使ってしまうのか?とついて触れ、あの『7つの習慣』にも登場する「重要性/緊急性」の4象限も登場します。

また、物事の重要性/緊急性を決定するのは、プロジェクトの中身もさることながら、関係者との「政治」も深く関わる、と筆者は指摘します。関係者がどーでもいいことで緊急性をがなりたてるとプロジェクトに余計な停滞が発生する。残念ながらよくある話ですが、その面でも「政治」に気を使うことは、時間の有効な使い方に影響することがわかります。

そして、筆者が最後に強調した一節

それよりずっと重要なのは、生き残ることだ。我々が目指すデスマーチ・プロジェクトは、上層部を驚嘆させる日程と予算で進捗し、エンドユーザーに輝かしい結果を提供するものだが、我々は、これらすべてを健康、才覚、家族、ユーモアのセンスのどれも損なわないで行うべきなのだ。それができてこそ最高だ。

なによりも、生き残ること、できればユーモアのセンスを忘れずに生き残ること、これが大事なのだと思います。

全ての「プロジェクト・マネージャー」のみなさま、笑って、良いお年を。

「デスマーチ」を生き残るために(1)

生き残れば十分なんです。少なくとも、最低条件ではないんです。

私はIT業界に勤めているわけではありません。ただ、ソフトウェア開発のプロジェクト・マネジメントには若干の興味がありました。子育てや自分の人生構築に何らかの参考になるかもしれない、と思ったからです。

この本は全ての子育てパパにオススメできる、というわけではありません。ソフトウェア開発の専門用語が頻発し、私も専門用語はあまり理解できていないと思います。ただ、1944年生まれの著者が、巻頭に

4世代にわたり家族が増えたことは、
デスマーチ・プロジェクトで、
何が重要で、
何が最優先すべきかを
適切に決める上で、
最大のヒントになった

と書いたのを見て、あ、これは期待出来る、と思いました。

まず著者は「デスマーチ」の定義から書き起こします。幾つかの定義の中で、こういう項目があります

通常必要な人数の半分以下しかエンジニアを割り当てないプロジェクト

二人の子供を持つ父親として言わせていただければ、両親の片一方が不在がち、あるいは病気がちで、子供が二人以上いて、かつ「実家」の定常的支援が得られない子育ては、ほとんどこれに該当する、つまり「デスマーチ」である、と言っていいと思います。現代の子育てにおいて、かなりの核家族は「デスマーチ」にならざるをえないのです。

その一方で、著者はこうも書いています

私の結論は、デスマーチ・プロジェクトは、常態であって、例外ではないというものだ。

異論がある方も多々あるかと思います。ソフトウェア開発と子育てを一緒にするとは何事か?と思う方もおられるかと思います。ただ、著者はデスマーチ・プロジェクトに反対しているわけではないことを強調し、その上で、デスマーチ・プロジェクトを成功させ、生き残るために何をすればいいか、に焦点を絞ってこの本を書いています。

そのために、これだけは覚えておいてほしい言葉として「トリアージ」をあげています。医療におけるトリアージの概念を聞いたことがあるかもしれません。特に救急医療において、限られた医療資源をどの患者さんにどの程度つぎ込むか、という難しい判断です。これを、プロジェクト管理にも応用するのです。乏しい資源(人、時間、お金)を何につぎ込むのか?

私が関係したほとんどすべてのデスマーチ・プロジェクトでは、システムの要求項目を、トリアージスタイルで、
「やらねばならぬ(must-do)」
「やったほうがいい(should-do)」
「やれればできる(could-do)」
の三つに分けるのが常識となっていた。

この三つの分け方は、単純ではありますが、私にとっては新たな発見でした。重要度を10段階に分けるよりよっぽどわかりやすいです。そして、すべての要求項目が「やらねばならぬ(must-do)」に入っている時点で、すでにおかしい、と容易に気づくこともできます。

もちろん子供に対して出来る限りの事はしてあげたい、というのは自然な親心ですし、残念ながらそれを無理に押し付ける人も少なくありません。でも、トリアージスタイルで、できないことはできない、と判断することは、ソフトウェア開発よりはるかに複雑な子育てにおいて、とても大切なことだと思います。

この項、続きます。

感謝の種、考えの種(2)

前回の続きです

かーそる 2017年7月号
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前回、この本のタイトルの前に「文章を」という言葉が省略されている、とわざわざ書いたのはわけがあって、これで「メモを」が前に来たら、きっと異なる話になっただろうな、と思ったからです。

Hiroshi Nagai ロルバーン ポケット付メモ M

私が今使っているプライベート用のメモ帳はこれです。ズボンのポケットにギリギリ入る大きさで、紙質も悪くなく、5mm方眼なので、書き方にあまり制約がありません。しかも、表紙がモノトーンではなく、ポジティブな感覚を受けます。

以前このロルバーンと似たサイズのモレスキンに日記を書いていたことがありましたが、長続きしませんでした。毎日家事育児に追われる身としては、毎日必ず家で落ち着いて書けるとは限らない。かといって通勤電車の中で立とうが座ろうがモレスキンを書くのは物理的に無理があり、日記はいつでも断片的にでも書けるデジタルツールが私にはあっているようです。

今使っているこのロルバーンは、日記向けではありません。カフェのようなとにかく落ち着ける場所で、思いついたことを書く。しかもたいていはこれからやりたいことについての箇条書きが多いです。このブログで書きたいことも書いています。毎日書いているのではありませんが、ゆるいライフログみたいなものかもしれません。

そして、このメモを書く際のルールを二つ作っています。一つは、このメモを書く際はスマホは見ない、ということです。書いているうちに調べたいことがあっても、あえてその場では見ない。そうやって、メモに集中するようにしています。

もうひとつ、このメモは絶対に他人には見せません。自分のためだけの伝言、自分のためだけの断片を書く自分だけの基地、と考えています。そういう位置付けにしてこそ、落ち着いて書ける。家は落ち着けないので(家はある意味常に戦場)、家の中で開くことはほとんどありません。なので、プライベートのことしか書かないのに、このメモの定位置は仕事鞄の中です。

こうやって、書きたい動機を考えていくと、書きたい道具だけでなく、その置き場所まで定まっていく気がします。また、そうやって動機を突き詰めて考えた道具にはそんなに簡単に飽きがこないのではないか、と思っています。もっとも、このロルバーンはたまたま「LOFT」で別の買い物をしている時に見つけたので、そういった偶然も必要かもしれません。

私の書く動機は、感謝の種と考えの種を書くこと。そして感謝の種も、考えの種も、心が落ち着いている時こそ書けるものだと思います。そんな場を提供してくださる道具の皆さんにも感謝したいです。

感謝の種、考えの種(1)

やっと、これを読む余裕ができるようになりました。

かーそる 2017年7月号
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このタイトルは、この前に「文章を」という言葉が(おそらく意図的に)省略されている、と感じました。「文章を」というよりは「ブログを」といった方がいいかもしれません。書いている方々がブロガーなので当たり前といえば当たり前ですが、道具と動機をいろんな意味で深く考えれば、ブログを含む「文章を書くこと」が長続きできるかもしれません。

さて、私がこのブログを書いている動機が、現時点では、3つあります。

一つは、自分を解き放つため
もう一つは、自分を律するため

一つは、日頃仕事家事育児に追われている自分を解き放つため。前回の「かーそる」のコメントでも私は似たことを書いているような気がしますが、今回も、いっきさんの言葉に深くうなずきました。

だから私は、もう長いこと「本当の意味で自分を喜ばせることができるのは、世界の中で自分だけだ…」という思いの中にいる。

そして、いろいろなことを考えながら書いているうちに自分自身が変わっていく、書き始めたときには思ってもいなかったことに気づく、という経験を何度かしています。編集長の言葉です。

ある種の文章の書き方をするとき、<自分>は変容する。その書き方のことを、私は執筆と呼びたい。

「文章を書くこと」は、幾多の趣味と違って、どこか特定の場所でしかできないことではない。特殊な道具も必要ない。最低限の時間と、空間と、道具さえあれば、たいていできる。自分を変えることさえできる。こんないいことはない、と考えたから、このブログも続いているような気がします。

一方で、ある時点からこのブログは2週間に1回書く、と決めています。スタート当初は勢いに任せて毎日書いてましたが、やはり周辺の環境を考えるといろいろ無理があり、だんだん間隔が長くなっていきました。それでも、自分にとって適度に続けられる頻度が2週間に1回である、と気づいた時、逆に絶対これ以上は延ばさない、と決めました。

私は自分のプライベートの予定を立てる時、まず抑えるのが、このブログの新しい記事を書き始める日程なのです。やりたいことや、やるべきことがどれだけあったとしても、これだけはちゃんとやる。そして、このブログを律することで、なんとか自分を、自分のプライベートを律することができているような気がします。

で、動機がこの二つだけなら、日記でいいではないか?という話かもしれません。ではなぜ全世界に向けて文章を公開するのか?それが、3つ目の動機

書くきっかけを与えてくれた人への感謝の意を表すため

このブログは、私の妻や友人等には一切その存在を知らせずに書いています。それは第1の動機に関連するのですが、妻や友人等に知られるリスクを冒してでも、日記ではなくブログにした理由は、この3つ目の動機があるからです。

書くきっかけを与えてくれた人、つまり自分を解き放つきっかけを与えてくれた人に「ありがとう」と言いたい。それだけなんです。うまくいけば、本人とやりとりができるかもしれない、という想いもあり、実際それはかなり初期の段階で達成されてはいるのですが、それは直接な動機ではなく結果であって、書いて公開した時点で、もう動機はほぼ達成されているのです。

そして、感謝の種を少しづつ植えることが、自分を解き放ち、自分を律することにもつながっているのかもしれません。

この項、続きます。

我に返ること、我に帰ること

この夏に、一つの大きな決断を下しました。

前回のエントリ時では、個人的にいろいろ苦しい状況下にありました。というより、長い期間少しづつ積み重なってきたストレスの大きさに気づいてハッと我に返り「これは大変だ!」とある日突然実感した、といった方がいいかもしれません。

思えば、いろいろ抱え込んでいました。家族のこと、コミュニティのこと、仕事のこと。仕事のことは以前から意識して抱え込みすぎないようにしていたのでいいのですが、特に家族のことを抱え込む負担が増大していた、と今にして思います。

ただ「適正量」がわからなかった。これは3つの意味があります。

1、自分にとって深刻な負担にならない量
2、家族に深刻な負担が発生しないように、自分が抱え込む量
3、世間的に見て「これぐらいはやらんといかんでしょう」と思われる量

3、はおそらくクリアしていると思います(確たる自信はないのですが)。問題は1、と2、のかねあいです。妻の適応障害をフォローすべく2、のレベルを高く見積もっていました。すると、いつの間にか1、を超えていたのです。

また、家族の動きと某コミュニティの動きが密接に関わっているという特殊な事情もあり、コミュニティを含む多方面に向けて「もういい加減にしてくれ」と叫ばざるをえない状況になってしまいました。

いい加減にしてくれ、はわかった。じゃあ、これからどうするんだ?と思ったときに、このブログが、後押ししてくれました。

〈混ぜるな危険〉R-Style

これは、決定論・運命論でもなく、かといって自己が世界を支配するという話でもありません。どちらかと言えば、その領域を〈行ったり来たり〉するものなのでしょう。
自分のリストを作ること。それはつまり、他人のリストを混ぜないことです。
自分の人生を生きていくために、これ以上必要なことはないでしょう。

上記の1、と2、の間でtodoが混ざる。しかし、1、の限界を超えると自分が崩壊し、いきなり2、がゼロになる。これが家族にとっていいはずがありません。だから改めて自分のリストの確立すること、つまり「我に帰る」ことが必要だ、と感じました。

妻がよく言います。体調がきついから、代わりにやってくれ。これは、今までの私にとってほとんど「命令」でした。自分自身の体調や気分に関係なく、無条件かつ最優先に行うべきものでした。妻がどう思っていたかわかりませんが、結果としてそうなっていた。

しかし、申し訳ないけど、今後はもう無条件かつ最優先ではない。妻の負担を増やさず、私の負担も(大きくは)増やさず、かつ家がなんとか回る方策が最優先である。そのために、家のルールを変え、私の「リスト」を変える決断を下しました。

まずは自分のリストを整えること。これがシンプルに自分の人生を生きていく第一歩かもしれません。

混ぜるな危険、止まるな危険

正直申し上げて、今はタスク管理ができる精神状態にないのですが、

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そうなる前に、この本を読みました。

最近、とある理由により、精神的にとても不安定です。すごく簡単にいえば、心が折れた状態。なにもかも放り出してエスケープしたい状態。当然、こういうときは、頭の中はぐちゃぐちゃです。だから、正直タスク管理はやりたくないので、最低限のルーチンだけを回しています。

ただ、とにかく落ち着きたい、と思ったので、第2章の「リストの性質」だけを読み返していました。これはまさに頭の中を落ち着かせるための切り口をいろいろ書いてあるところだからです。そこにある重要な一説。

「今からすること」リストに思いついたことをどんどん追加してしまうと、それは「今からすること」リストではなく、「やるべきこと」リストなってしまいます。リストが変質してしまうのです。リストを切り分ける行為には、それを防ぐ意義があります。ここでも<混ぜるな危険>の原則が生きています。

そう、混ぜるな危険。
頭が落ち着いているときでさえ、ありがちなリストの混乱と変質。でも、こんな最悪の時の方が混ざらないのかもしれません。「早く食べて、寝よう!」という究極のクローズドリストです。あとは布団かぶってエスケープ。頭のなかで行きたいところリストをどんどん追加していく。まさにオープンリスト。といっても、メモをする精神状態にはないのですが。

ところで、「1日3回特定の薬を飲む」という行為は、間違いなく「やるべきこと」です。これをしないと場合によってはQOLの低下に直結します。

一方、それとは別に「頓服薬」があります。たとえば頭が痛くなったら飲む薬、と説明されます。ただし、痛ければ飲めばいい、とも限りません。私も妻も処方されている偏頭痛の薬(レルパックス)はひと月に10錠までしか処方できない、と医者に言われています。考えて使わないといけない。

こんな感じで「やるべきこと」と「やるべきでないこと」と「やりたいこと」が拮抗することが、ままあります。これは混ざる。絶対混ざる。正解はありません。でも、とにかく決めないといけない。あるだけの判断力とリソースと運に頼るしかない。しいて一つだけあげるとすれば、なんらかの優先順位でしょうか。ミッションステートメントのような高尚なものではない、本能的な思いつき。その根底に、頭の中の「リスト」があるように思います。

確かに頭の中が混乱するのは危険なのですが、現状のまま、足がすくんで判断しないことは、もっと危険なような気がします。こんな精神状態で「走り続けろ」というのは酷です。でも「止まるな」ということなら、できるかもしれません。