強制力を働かせない強制力

この本の感想の続きです。

21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚)

二つ目のキーワードは、コミュニティ。
ご参考までに、私と妻で共有する、ある趣味のコミュニティのことを書きたいと思います。

このコミュニティは年会費制を取っています。年度ごとの更新規定も厳密です。なのでメンバーか否かは明確に区分されますが、参加形態はかなり自由です。ガンガン参加する人、全く参加しない人、私や妻のようにたまに参加するが顔を出すだけの人。ここにあまり明確な仕切りはありません。ただ、参加形態にかかわらず、会費の額は一律(ありていに言えばタダ同然)です。
また少なくとも私が入会したここ15年ほどで(主要メンバーが大きく入れ替わっているにも関わらず)こういったノリに変化はありません。それは、設立以来の不動の中心メンバーが、あまり強制力を働かせていないからかもしれません。強制力を働かせない強制力。

また、不動の中心メンバーの少なくともひとりは、上記佐々木さんの本で言うバリバリの「リベラル」ですが、個人の考えをこのコミュニティには持ち込みません。メンバーのなかにも「リベラル」的考えを持つ人が少なくなさそうで、このあたり、単純にマイノリティとしてのシンパシーがあるのかもしれません。
但しコミュニティの方針とは別です。個人的な思想として持つことは否定されていませんが、あまりにあまりの人は、排除されるか、自分で出て行きます。コミュニティとしてのなんらかの「共通善」が定義されて、コミュニティの中で定着しているからでしょう。

ADHD関連のwebつながりでも、似たような印象を受けています。固定度はないが、リーダーが不在、とも言い切れません。それなりにメンバーの数はあります。これがどのように成長するか、しないのか、を見ていくのは単純に興味としておもしろそうです。私もなんとなくメンバーのひとりではあります。しかもADHDそのものの当事者ではありません。

政治の世界は基本多数決なのでマイノリティーを排除する方向にいきがちです。なので、マイノリティーは反感を持って反権力になるのは、ある意味自然なような気もします。でも、反権力の示威行動だけではサイレントマジョリティーは動かせません。それ以上の何かが必要です。
そもそも「サイレントマジョリティーを動かす」こと自体が必要かどうか、という話もあるのですが(「隠れ家」というキーワードもあったりして)、ネットに、コミュニティに、何が出来るか? 当時者的にも、観察者的にも、この話はとても興味があります。

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