シンプルに考える:不安への解は、感覚

前回は昔の本でしたので、今回は最新のベストセラーを。

シンプルに考える

まず、読了した感想は「厳しい方だ」ということでした。とにかく、カスタマーファースト。そのために自分の持つすべてをつぎ込み、あらゆる余計なものを排除する。まるで禅僧のようです。LINEってすごく厳しい会社なのだと思います。ブラック、という意味ではなくて。

この本で私がまず目についたのは「不安」という言葉でした。シンプルを目指し、余計なものを排除すると、当然、不安になる。もともとこの変化の激しい時代、ただでさえ不安なのに、さらにぶった切ってどうするの?

わかるはずもない「未来」を予測するなどという作業は、会社にとって余計なことなのです。それよりも、「目の前」のニーズに応えることに集中する。そして、常にそのニーズに変化の兆しはないかと、神経を鋭敏にしておくことのほうが重要だと思うのです。

不安への解は、集中、そして研ぎ澄まされた感覚。ロジックではなく、感覚。そうかぁ、と思いました。あんまりそのように考えたことがなかったのですが、実は当たり前なのかもしれしれません。
ところで、ADHDってある意味神経過敏な方々ですから、もともと研ぎ澄まされた感覚を持っている。というより、周囲の変化に目が行き過ぎて、大変なことになっているのがADHDではないか。ならば、余計な変化を見えなくすればいい。著者が言っている「計画」はいらない、というのも、そのひとつ。 

日本人には「変わるのは悪いこと」というイメージが強い。だから、計画の変化にネガティブに反応してしまう社員が現れる。ならば、計画を発表しなければいい。そうすれば、計画が変わったかどうか誰も気づかない。みんながハッピーになれるし、何より変化への抵抗がなくなるんじゃないか。

計画なんか作るからその後の変数が増える。ならば最初から見せなければいい。そして、本当に見るべき変化(この本ではカスタマー)だけに集中する。たしかに日本人って「変わること」に対する本能的な抵抗って大きいような気がします。スケジュールが大事な農耕民族だからでしょうか。そこに鋭敏すぎる神経が加わると大変なことになるのもわかります。

では、私にとって、本当に見るべき変化って、なんだろう?
まずは、家族。それから‥?
といろいろ考えてしまいました。

「未来のブロガー」になっていく(ような気がする)

いろいろわけあってブログを始めて、3週間もたってないけど、毎日更新できています。毎日書いている中で気づいたことが、ふたつあります。

自分が変われる(ような気がする)

もともと、ブログを始めた理由は「社会を変える前に、自分が変わりたかった」からです。
友人や妻にさえ知らせずに、文字通り読者ゼロの状態からスタートしたのは、所詮無名のブログごときで社会なんか変えられるわけがない。それより前にやるべきことがあるだろう、と思ったからです。

で、自分の中での変化は早くも起こりつつあります。例えば、記事を書きはじめるうちに自分の思いもしない方向に筆が進んで、あ、本当に思っていたのってこれだったんだ、と自分の中で納得することがすでに起こっています。とりあえずサッカーのゴールあたりを目指してなんとなく走っていたら、思わぬタイミングで斜め後方からナイスパスが来てシュートがうちやすくなる、みたいな感覚です。この感覚を味わうと、ブログって止められん、という人の気持ちがちょっとはわかるような気がします。

そりゃあ読者が多い方がありがたいけど、会社のブログじゃないんだから、読者増やすことが第一優先ではないだろう、と。初心忘れるべからず。

「未来のブロガー」になっていく(ような気がする)

そんなわけで、これからも人の目を引くような過激な意見を書くつもりは全くないのです。それでブロガー足り得るのか?と思ってたら、「すごいパス」が来ました。

【書評】21世紀の自由論(佐々木俊尚)- R-style
有名ブログから、慎んで拝借。あ、タイトルの本はまだ読んでません。今度読んでみよう。

暴言を承知で言えば、言論を商売にしている人たちの発現を薄め、市民による市民としての発言を吸い上げていくことが必要だ。しかし、はたしてそんなことが可能なのだろうか。私は可能であると信じたい。そしておそらくそれが、finalvent氏の言う「未来のブロガー」の姿なのであろうとも思う。

今のうちに言いたい放題言っておこう。無名ブロガーでもしっかりとした意見があれば「未来のブロガー」にはなれるかもしれない。

極東ブログ、読んだことあります。あまりに高尚すぎてついていけないのですが、そういう方に励まされる(気分になる)とちょっとはやる気が出ます。今のノリでやっていても、自分が変わる以上のことが起こるかもしれない。

改めて、初心忘れるべからず。

学校プリントをスキャンし始めて気づいた3つのこと

この春から、家事でひとつ、大きく変えたところがありました。小学校や幼稚園で配布されるプリント類を私も管理する、ということです。

これまでこの類の管理は妻に任せっきりにしていました。ところが、これが大きなストレス源になっていたことに今ごろになって気づいたのです。先日、家族全員の行動予定表の話を書きましたが、これもプリント類の内容を把握していないと書けない、という当たり前の事実に気づいて、早速実行開始。

私のやり方は全てをスキャナに通してPDF化して”evernote”にぶち込む。その後のプリント自体のこまかいファイリングはせず、単純に「小学校」というファイルボックスに保管、というシンプルな方法ですが、自分なりに把握ができれば何でもいいのです。そして3つのことに気づきました。

1点目。小学校のプリント多過ぎ。しかも、サイズがバラバラ。これはADHDでなくても簡単にテンパる。こんなことを妻ひとりに任せていたことを深く反省しました。すごいストレスだったことでしょう。こんなの紙で出さずに全部ファイル化してメールで送ってくれ、と言いたいところですが、子供自身が把握すべき情報もあり、そうは行かないのでしょう。

2点目は、1点目に関係するのですが、子供ひとりに対する行動管理はバカにならない、ということ。大人になればやるべきことを自分で判断して自分で行動するようになるわけですが、子供はまだそれができない(大人でもできない人は多いのですが)。したがってその指示がプリントを通してガンガン来るわけです。単純な「この日に○○を持って来て」だけではなく、給食の献立や保健室だよりのような参考情報も少なくなく、そこから選別して子供のtodoを組み立てることは結構高度なスキルかもしれません。

3点目は、スキャンのために文書を見返すことが新たな行動につながる、ということ。新たな行動と言っても「めんどくさいなぁ」という感じではなく、ポジティブなイメージ。今までは、何か期限が迫って来たところで「そうだ、あれやらなきゃ」と思い出し、あわてて書類をあさる、という感じだったのが、事前に慌てることなく把握できる。しかも余裕があるからプラスαの対応ができる可能性がある。これについては詳しく項を改めて書こうと思います。

ちなみに妻は妻で学校のプリント管理を続けていますが、好みの問題もあり、私とはやり方も使うソフトも異なります。言わば二重管理ですが、無駄なことではなく、むしろリスク分散になっていると思っています。大切なのは、「共有すること」です。

シンプルさとADHD3:朝の余裕は一日を左右する

昨日「時間割は使いよう」と申し上げました。我が家の時間割は、学校の時間割とはちょっと違います。一言で言うと、ゆるいのです。

例えば、我が家の起床時間は、子どもが学校を出る1時間半前に設定しています。起きてから家を出るまでは、おそらくテキパキやれば30分でできますが、あえて1時間半もかけるのはなぜか?二つの理由があります。

ひとつは、何か突発事態が起こっても、時間があればリカバリーがきくからです。以前は起床時間を1時間前にしていました。すると、子供が朝食を差し置いて何かしたい、と思った途端に、あらゆることが簡単にグダグダになりかねないのです。子ども自身はもちろん、親にとっても朝からストレスがたまります。親は「それはやっちゃダメ、あれしろ、これしろ、遅刻するぞ」となります。これが精神にいいわけがありません。妻にとっては、簡単に「地雷」に変わってしまいかねません。

もうひとつは、文字通り「三文の得」。やるべきことを早くやったら、思わぬフリータイムが得られるからです。朝食食べて身支度整えて、まだ時間があれば好きに遊んでOK。さすがにゲームはだめですが。親の方も、余裕があるとちょっとの時間で話し合いができたり、改善提案ができたりします。たびたび早く出社する必要があったりするので、対応も容易です。

なお、ここで言う「起床時間」は目覚ましが鳴る時間であり、家族全員が起きる時間ではありません。私は「起床時間」の少なくとも1時間前には起きています。子どもたちは目覚ましが鳴ってすぐ起きることもあれば、しばらく待たないと起きてこないこともあります。やはり前の晩の就寝時間が影響しますね。でも、多少の遅れは許容範囲。そして、もともと夜型の妻も、ほぼ起床時間に頑張って起きてくれます。

なお、毎朝の朝食は私が作りますが、「起床時間」は私が朝食を作り始める時間でもあります。やはり余裕をもって一日をスタートできるかどうかが、その日の精神状態を大きく左右するのです。

シンプルさとADHD2:「時間割」の重要性

ADHD気味の家族とともにシンプルで快適な生活を目指すにあたり、「時間割」の存在が重要なのではないか、と最近考えています。これには二つの意味があります。 

一つは、習慣化です。例えば、我が家では、学校の宿題は必ず帰宅直後にやる。終わったら5時まで外で自由に遊んでよし、という「時間割」を設定しています。

この「時間割」は、誰でも多少ADHD的傾向のある小さい子ども自身では設定できません。好きな時間に宿題やっていいよ、とすると当然遊びが優先し「遊ぶのが忙しくて宿題できなかった」となります。これは(特に子どもが小さいころは)子どもの責任ではなく、親の責任です。

もうひとつはデッドラインの設定です。つまり、何があっても一定の時間までにやるべきことを設定します。ADHDと関係あるのかどうかわかりませんが、うちの子どもは「あと○○分で終わりにするよ」というと、たいていそのとおりにしてくれます。もちろんいきなり「あと5分」とかではダメで、最低でも20分前からアラートをかけますが、とにかく何か時間の区切りを設定するとまずまずうまくいくようです。

なお、我が家で最も重要なデッドラインは「就寝時間」です。特別な行事が入らない限り、夜8時半までに消灯することにしています。仮に妻が急に動けなくなったとしても、私がこの「8時半消灯」に向けて最低限やるべきことに注力します。

なぜ「就寝時間」に集中するか、というと、就寝時間は必ず翌朝の起床時間に影響し、今日がグダグダであっても明日以降にリカバリーが効くからです。まず子供たちが規則正しい生活をできるかどうかが、親のストレスコントロールに直結するので、とても大事です。

同じ「時間割」といっても、子供の時間割に合わせてランドセルの荷造りを手伝う、というのは必ず私の役目です。これは妻が最も苦手とするミッションの一つだからです。でも、「時間割」は使いようです。 とにかく一点に集中するように仕向ければ、ADHDと言えども行動しやすくなるような気がします。

シンプルさとADHD1:実は近い関係なのでは?

昨日の本の話に関係して、ちょっと続けます。
ADHDの人は「片付けられない人」というぐらいですから、シンプルさとは全く縁がないように思えますが、実はそんなことはないのでは?と考えています。

『減らす技術 The Power of LESS』は、シンプルの要諦は「制限」し「本質に迫ることだけを選ぶ」ことだ、と指摘しました。ADHDの人は、適切なタイミングと程度で「選ぶ」ことはできない。ただ、実際には感覚的にできているのではないか、という気がするのです。

例えば、妻が何かを片付けたい、と考え始めるとします。すると簡単に「テンパる」か、あるいは考えること自体に集中してしまいます。集中して何をするかというと、例えば整理用品について猛烈な勢いでネットで調べ始めるのです。肝心な「モノ」は一切動きません。

しかし、本当に何にもできないか?というと、そんなことはありません。やるときはやります。ただ適切なタイミングでコントロールできないだけです。たとえば妻は片づけが苦手ですが、年3回ぐらい、猛烈な勢いで部屋を片づける能力を発揮します。これには半日を要し、当然私がその間子供の面倒一切を引き受けるのですが、とにかくやり遂げます。このときの意思の力はすごいです。

「コト」の場合は、もっとわかりやすいです。妻はネット依存度が高い(長くネットをやっても体調に影響しない)のですが、一方で関わり合い(コミットメント)が増えると直ちに体調に影響します。つまり、感覚的に「制限」しているのです。

たとえば、うちの子供の習い事は今週1回しかありません。周囲の中では少ない方ですが、これは単純に週2回以上では妻が対応できないからです。すると一番重要な習い事は何か?をいやでも考えるようになります。たまに新たな習い事を考えることもありますが、その際は今の習い事をやめてでもそちらをやりたいか?という選択を迫られ、それはダメだろう、という結論になります。

「モノ」にしろ「コト」にしろ集中する対象とタイミングを適切にコントロールすれば、ADHDでも明るく過ごせるような気がします。そうでない人より、ある意味「シンプル」に近い位置にいるのです。

The Power of LESS :オンラインとオフライン

昨日の続きです。

減らす技術 The Power of LESS

昨日の二つの引用は最初の30ページにかかれています。要点はこの30ページに集中していて、あとはその解説。11の章に分けて、いろいろポイントを書いてありますが、そのなかでも、ここではふたつに絞ってご紹介。

まずオンライン。手元にスマホがあったら、ついネットを見たくなります。それに対して、著者レオ・バボータは3つの質問を問いかけます。

質問1 インターネットを使う真の目的はなんだろう?
質問2 個人的に好きなサイトはどこだろう?
質問3 真剣に集中したい時間帯はいつだろう?

(シンプル・インターネット より)

私の回答
質問1
人生を豊かにするためのネタを集めること、と言い切ってみたいですね。もちろんかっこいいことばかりじゃないけど。このブログのネタ集めが、それに重なりつつあります。
質問2
つい最近までRSSフィードを30ぐらい集めてました。当然あっという間に時間がつぶれました。これはまずいと思い、3つにまで減らしました。それで、ブログを書く時間ができるようになりました。
質問3
そもそもフリーな時間帯が少ないのです。土日は基本的に家事・育児にフルコミット。休むことは許されません。ネットは、計画的に。

そして、オフライン。いろんな面での付き合いごとは、結構バカになりせん。

毎日は関わり合い(コミットメント)の嵐で、人生の余白はゼロ。時間とエネルギーを奪われてもうへとへとだ。誰かのリクエストに「イエス」と答えるたびに関わり合い(コミットメント)が生まれ、あなたの自由は奪われていく。(略)
関わり合い(コミットメント)をシンプルに削ろう。ひとつずつ増えたものは、ひとつずつ減らしていけばいい。そうすれば、あなたの人生に大切なことのための時間が戻ってくる。

(シンプル・コミットメント より)

私は今でも仕事と家事・育児で手一杯で、新たなコミットメントが発生する余地はなさそう。というより、ブログを始めたことを機に、一旦は減るだろうなぁ。ま、悪いことばかりではない、と思い直して。

一方、子どもは違う。今はまだ新年度が始まったばかり。同じクラスは、みんな友達。ママはそれに引きずられます。自分と性格が合う合わないはさておき、物理的に処理できる量には限度があるはず。子どもはそれがわかりませんから、親がある程度は介入してもいいかもしれません。難しいとは思いますが。

実はこの後、シンプル・コミットメントのポイントが15項目も書いてあるのですが、多すぎて覚えられない(笑)。

The Power of LESS :制限する前に、気づくべきこと

先週末に続いて、「シンプル」な本シリーズ。数年前に買って、今でも時々読み返します。電子書籍化してくれないかなぁ。

減らす技術 The Power of LESS

情報や仕事の”波”に足をすくわれないようにするには、どうすればいいのだろう?
森の奥深くの小屋で、隔離された状態で生きるしかないのだろうか?
私はこう考えている。両者の中間を目指してみてはどうだろう?
つまり、大量の情報にアクセスできる環境を楽しみつつ、ホースから飲み込む量は自分で決める暮らし。

この中間的な感覚がいいですね。シンプルというと、なんでもカットする、いわゆるミニマリスト的な考えもままあるのですが、私にはできない。小さい子どもふたり抱えてミニマリストは無理です。でも「自分で決める暮らし」なら少しはできそうです。Be a controller.

で、controllerになるための原則は、二つだけ。

原則1 制限する
なにごとにも制限しよう。制限することで、「本質に迫ること」を厳選することができる

原則2 本質に迫ることだけを選ぶ
時間とエネルギーを最大限活用し、小さな元手で大きなインパクトを生み出せる。

これが簡単にできれば、苦労しないですね。だから、いろんな本が出るのですが。

ところで、「制限する」前に、ひとつ重要な点は「多すぎる、ということを実感すること」のような気がします。気づかないうちに増えてしまう。しかもかなりのところまでいかないと「多い」と実感できない世の中になっているのではないか。周囲から「もっと、もっと」と煽られているのもありますが、そうでなくても、いろんな理由でまだまだ行けると思ってしまう。

例えば、情報がすべて紙だったら「多い」ことは簡単に認識できる。今は違いますね。HDDか何かがパンパンになるまで認識できない。そしてそのときにはもうお手上げ状態。そして、行事の視覚化はさらに困難です。todoリストを書けば済むという問題ではない。項目数はわかるけど、量は認識できない。

ところが、簡単にテンパる人は、多すぎると認識できるレベルがかなり低い。「モノ」が散らかってもお構いなしですが、「コト」が多すぎるとてきめんに反応する。そういう人が私のそばにいることは、逆にある意味ありがたい、と思っています。

「地雷」回避への努力5:そして、淡々とリカバリー

いろいろやっても「テンパる」ことは、残念ながら避けられません。昨日まで書いたことはもちろん無駄にはならないのですが、突発的事態は避けられませんし、同じ事態でもそのときの気の持ちようでテンパる確率が大きく変化します。

妻の場合、先に書いたとおりテンパると動けなくなるので、そうなった場合、たいていLINEで通知が来ます。勤務時間中にこのような通知が来るのは日常茶飯事で、場合によっては早退して、家事に対応します。

そのときには、まず妻に二つのことをお願いします。

・あなた(妻)は何もせずに横になって休むこと
・子どもたちには好きなことをさせること

テンパっている妻にとっては、こどものそばにいること自体がリスクです。さらなる地雷を誘発させかねません。我が家でも子どもたち対していくつかのルールを設定しています(テレビを見られる時間とかゲームをできる時間とか)が、これを一旦解除して、妻・こどもともにストレス要因を減らし、状況の安定化を図ります。

しかる後に、私が帰宅して、家事・育児の一切を仕切ります。妻は(普通の家庭に比べて)よく動けなくなるので、子どもたちは、そうなった妻に手出しをしてはいけないことぐらいは認識しています。そして落ち着いた子どもたちに対して最低限やるべきことに注力します。すなわち、食べさせて、着がえさせて、寝かしつける。これだけです。

例えば、寝かしつける過程で絵本を読んであげる、といったことはしますが、状況を見て、上記3項目以外はできるだけカットします。風呂はもちろんパス。1日抜いても死にやしません。子どもが入りたいと言えばOKを出すこともありますが、時間をかっきり制限し、時間がきたらタイマーを鳴らして容赦なく上げさせます。

これはルールからの逸脱であり、「一事が万事」のような見方からするとよくないことはわかっています。しかし、家事の崩壊や妻の健康状態の悪化よりも一時的な例外設定の方がまだまし、と割り切ってます。この点はまだ考慮の余地があるかもしれません。

もうひとつ気をつけていることは、あえて感情を表さずに「淡々と」遂行することです。そうすることで、子どもたちは今が緊急事態であることを認識しやすくなりますし、妻にとってもその方がかえってありがたい、と言います。

淡々と、限定した課題に、集中する、というのは、シンプルな考え方にも共通するかも、とはちょっと強引でしょうか。

「地雷」回避への努力4:共有化は視覚化が大切

昨日は「共有化」のことを申し上げましたが、さらに追加します。

現在我が家では、向こう3日分の家族4人の詳細な行動予定表がはってあります。表は1日につきA4横1枚。だから3枚はってある、ということですね。表計算ソフト(我が家はexcelがないので、代わりにLibreOffice)を使っています。縦軸が時間で、家族4人の予定を横に並べる方式です。

以前から私と妻の予定はgoogleカレンダーを使って共有していました。ただ、それだけでは不十分だと、ある日妻が指摘しました。なぜか?「大変」な部分が明示されていないのです。

昨日申し上げた通り、大変な作業の一つに「こどもを連れて外出する」という作業がありますが、今の表ではこれを赤の太字で明示してあります。あと重要と思われる作業(例えば子供の宿題対応とか)も太線で明示します。なお、これは「家族目線」の行動予定表なので、私の欄は仕事で家を出てから帰るまでがら空きです。

この表は原則毎週土曜日の朝に、次の月曜日から日曜日までの1週間分を一気に作ります。情報把握を含めて1時間ほどかかりますが、この表作成が週の中でも最も重要な家族行事と認識されています。ADHD気味である妻は、この作業、つまり情報を再構成して表にまとめるという作業が大の苦手です。ですから、これは必ず私の仕事です。私にとってはさほど苦ではありませんが、作ってみて、個々の家族の予定を把握する重要さを再認識しました。

たしかに生活パターンがガラッと代わる長期休暇時や年度初めは大変です。ただ、時期が経つと生活パターンが一定になるので、1週間前の表をコピペすればほぼ対応できるようになります。ところがそうは言っても細かい変更はままあるので、それを反映していきます。そしてそれが最も大事なことです。その「細かい変更」が、簡単に「地雷」に変わる可能性を秘めているからです。作ってみて、これは大変だ、と認識し予定を変更することもあります。

頭のなかで何となく把握するだけではダメで、書いてみて視覚化して初めてわかることが結構ありますね。ブログを書くこともある意味同じかもしれません。