The Power of LESS :制限する前に、気づくべきこと

先週末に続いて、「シンプル」な本シリーズ。数年前に買って、今でも時々読み返します。電子書籍化してくれないかなぁ。

減らす技術 The Power of LESS

情報や仕事の”波”に足をすくわれないようにするには、どうすればいいのだろう?
森の奥深くの小屋で、隔離された状態で生きるしかないのだろうか?
私はこう考えている。両者の中間を目指してみてはどうだろう?
つまり、大量の情報にアクセスできる環境を楽しみつつ、ホースから飲み込む量は自分で決める暮らし。

この中間的な感覚がいいですね。シンプルというと、なんでもカットする、いわゆるミニマリスト的な考えもままあるのですが、私にはできない。小さい子どもふたり抱えてミニマリストは無理です。でも「自分で決める暮らし」なら少しはできそうです。Be a controller.

で、controllerになるための原則は、二つだけ。

原則1 制限する
なにごとにも制限しよう。制限することで、「本質に迫ること」を厳選することができる

原則2 本質に迫ることだけを選ぶ
時間とエネルギーを最大限活用し、小さな元手で大きなインパクトを生み出せる。

これが簡単にできれば、苦労しないですね。だから、いろんな本が出るのですが。

ところで、「制限する」前に、ひとつ重要な点は「多すぎる、ということを実感すること」のような気がします。気づかないうちに増えてしまう。しかもかなりのところまでいかないと「多い」と実感できない世の中になっているのではないか。周囲から「もっと、もっと」と煽られているのもありますが、そうでなくても、いろんな理由でまだまだ行けると思ってしまう。

例えば、情報がすべて紙だったら「多い」ことは簡単に認識できる。今は違いますね。HDDか何かがパンパンになるまで認識できない。そしてそのときにはもうお手上げ状態。そして、行事の視覚化はさらに困難です。todoリストを書けば済むという問題ではない。項目数はわかるけど、量は認識できない。

ところが、簡単にテンパる人は、多すぎると認識できるレベルがかなり低い。「モノ」が散らかってもお構いなしですが、「コト」が多すぎるとてきめんに反応する。そういう人が私のそばにいることは、逆にある意味ありがたい、と思っています。

「地雷」回避への努力5:そして、淡々とリカバリー

いろいろやっても「テンパる」ことは、残念ながら避けられません。昨日まで書いたことはもちろん無駄にはならないのですが、突発的事態は避けられませんし、同じ事態でもそのときの気の持ちようでテンパる確率が大きく変化します。

妻の場合、先に書いたとおりテンパると動けなくなるので、そうなった場合、たいていLINEで通知が来ます。勤務時間中にこのような通知が来るのは日常茶飯事で、場合によっては早退して、家事に対応します。

そのときには、まず妻に二つのことをお願いします。

・あなた(妻)は何もせずに横になって休むこと
・子どもたちには好きなことをさせること

テンパっている妻にとっては、こどものそばにいること自体がリスクです。さらなる地雷を誘発させかねません。我が家でも子どもたち対していくつかのルールを設定しています(テレビを見られる時間とかゲームをできる時間とか)が、これを一旦解除して、妻・こどもともにストレス要因を減らし、状況の安定化を図ります。

しかる後に、私が帰宅して、家事・育児の一切を仕切ります。妻は(普通の家庭に比べて)よく動けなくなるので、子どもたちは、そうなった妻に手出しをしてはいけないことぐらいは認識しています。そして落ち着いた子どもたちに対して最低限やるべきことに注力します。すなわち、食べさせて、着がえさせて、寝かしつける。これだけです。

例えば、寝かしつける過程で絵本を読んであげる、といったことはしますが、状況を見て、上記3項目以外はできるだけカットします。風呂はもちろんパス。1日抜いても死にやしません。子どもが入りたいと言えばOKを出すこともありますが、時間をかっきり制限し、時間がきたらタイマーを鳴らして容赦なく上げさせます。

これはルールからの逸脱であり、「一事が万事」のような見方からするとよくないことはわかっています。しかし、家事の崩壊や妻の健康状態の悪化よりも一時的な例外設定の方がまだまし、と割り切ってます。この点はまだ考慮の余地があるかもしれません。

もうひとつ気をつけていることは、あえて感情を表さずに「淡々と」遂行することです。そうすることで、子どもたちは今が緊急事態であることを認識しやすくなりますし、妻にとってもその方がかえってありがたい、と言います。

淡々と、限定した課題に、集中する、というのは、シンプルな考え方にも共通するかも、とはちょっと強引でしょうか。

「地雷」回避への努力4:共有化は視覚化が大切

昨日は「共有化」のことを申し上げましたが、さらに追加します。

現在我が家では、向こう3日分の家族4人の詳細な行動予定表がはってあります。表は1日につきA4横1枚。だから3枚はってある、ということですね。表計算ソフト(我が家はexcelがないので、代わりにLibreOffice)を使っています。縦軸が時間で、家族4人の予定を横に並べる方式です。

以前から私と妻の予定はgoogleカレンダーを使って共有していました。ただ、それだけでは不十分だと、ある日妻が指摘しました。なぜか?「大変」な部分が明示されていないのです。

昨日申し上げた通り、大変な作業の一つに「こどもを連れて外出する」という作業がありますが、今の表ではこれを赤の太字で明示してあります。あと重要と思われる作業(例えば子供の宿題対応とか)も太線で明示します。なお、これは「家族目線」の行動予定表なので、私の欄は仕事で家を出てから帰るまでがら空きです。

この表は原則毎週土曜日の朝に、次の月曜日から日曜日までの1週間分を一気に作ります。情報把握を含めて1時間ほどかかりますが、この表作成が週の中でも最も重要な家族行事と認識されています。ADHD気味である妻は、この作業、つまり情報を再構成して表にまとめるという作業が大の苦手です。ですから、これは必ず私の仕事です。私にとってはさほど苦ではありませんが、作ってみて、個々の家族の予定を把握する重要さを再認識しました。

たしかに生活パターンがガラッと代わる長期休暇時や年度初めは大変です。ただ、時期が経つと生活パターンが一定になるので、1週間前の表をコピペすればほぼ対応できるようになります。ところがそうは言っても細かい変更はままあるので、それを反映していきます。そしてそれが最も大事なことです。その「細かい変更」が、簡単に「地雷」に変わる可能性を秘めているからです。作ってみて、これは大変だ、と認識し予定を変更することもあります。

頭のなかで何となく把握するだけではダメで、書いてみて視覚化して初めてわかることが結構ありますね。ブログを書くこともある意味同じかもしれません。

「地雷」回避への努力3:そして共有する

昨日申しあげたとおり、地雷には2種類あります。ここが地雷源だとわかっている場合と、そうでない場合。

妻の場合は、地雷源だと事前に認識していれば、それなりに用心をします。それ以上に重要なことは、地雷源があるという情報を私が共有することです。私が認識しなければ、自分も認識できないも同然、と妻は言います。

そこで、ある日、妻がこういうことを言い出しました。

「毎朝、今日は○○があって大変だね、と私に言ってほしい」

これには、2つのポイントがあります。一つ目はこれを私が妻に言うこと。これにより情報が共有されていることがお互いに認識されます。

もう一つのポイントは、「大変だね」です。これが「よろしくね」とか「~してくれてありがとうね」ではダメ。「大変だね」は、そこに地雷があることを認識するキーワードであり、その他の言葉では認識できないのです。

だだし、この「大変だね」と言うことには、私は当初すごく心理的に抵抗がありました。あなたのせいで、私はこんなに「大変」な思いをしていると言わせたいのだ、と誤解したのです。悔しいというか、なんか納得できないというか。もちろん妻は、私のせいだとは思っていません。

例えば今の妻にとって一番大変なこと、つまり最大の地雷は、なんらかの理由により自分ひとりでふたりの子どもを外に連れて行くことです。準備も大変だし、外出先でどんな予想外のことが起こるかわからない。ADHDでなくてもこれが「大変」なことであることは理解できます。

ただし、こういう出来事が発生するのはたいていは学校・幼稚園や習い事や通院のためであり、私の言動が原因ではありません。大変だとわかっているなら代われよ、と言われている気分になるのですが(それがいやだった)、妻はそんなつもりはありません。やむを得ないのですが、それを分かってほしいのでしょう(実際代わって対処したこともありますが)。

私がこう考えてしまうのは、男性特有の思考傾向なのか、あるいは単に私の被害妄想なのかもしれません。ただ、ここは「割り切って」やるしかない、と判断しました。

これからもいくつもの「割り切り」をしなければならないでしょう。それによるストレスも発生するでしょう。でも、それは弱気の消極策ではなく、別のストレスを大きく軽減するための積極策なのだ、と考えることにしています。

「地雷」回避への努力2:選別して、平準化する

妻が「よくテンパる」のは、当然テンパる要素があるからです。これは予定されているか、偶発的かどうかに関係ありません。

偶発的に起こる要素として、子供から発生するのは防ぎようがないとしても、私自身から発生するものはできるだけ減らさなければなりません。オンライン、オフライン含めて余計なことを言わない。場合によっては単純な好意で「○○をやっておいたよ」と言うだけでも彼女にとっては地雷となり得ます。なんでもかんでも報連相すればいいというものではありません。

そんなわけで、家に居るときは、私ひとりが起きている時間を除いて、結構緊張を強いられます。下手なことを言ったりやったりしたら、その瞬間に家事と育児が止まるからです。正直言って、これはきついです。家にいても、気を休めてはいけないのですから。これについては、まだ解決策を模索中です。

一方、偶発的でないものは、ある程度やりようがあります。

まず、行事を選別します。本当に重要な行事に絞り込み、それ以外には関わらない。ここは「シンプルな考え方」に通じる所がありそうです。頼まれたことをすべて受けるのは、論外。それは妻もわかっているので、自分である程度は選別しますし、私も相談に乗って明らかに余計と思われることは断るように言います。場合によっては断ること自体を私が代わりにやることもままあります。テンパっていると選別すること自体ができなくなるので、このサポートはとても重要です。

それでも行事は残ります。次にやるべきことは、分散化です。同じ日に重い行事が2つ入ったらADHDでなくても気が重くなります。なので、できるだけ分散化を図り、重い行事が2日続けて発生するとかもないようにします。妻は現在複数の病院にかかっています(だいたい月イチが多い)ので、そういったものも同じ週に重ならない方がいい。待たされるのは、誰にとっても苦痛ですから。

そして、その結果を共有します。実は、これができていないと全く意味がない、ということについ最近気づきましたが、それは項を改めて申し上げます。

「地雷」回避への努力1:ADHDが関係していたとは!

先日、妻が「簡単にテンパる」と申し上げました。言い方を変えると「簡単にパニクる」とも言えます。例えば、この辺りを見ていただくとわかりやすいか、と。

マンガで分かる心療内科・精神科in池袋「ADHD編」
第3回「ADHDは依存になりやすい!」
http://yuk2.net/man/220.html

いや、わかりにくいかも(笑)。それにしても、いきなり「パイ」はすごいなぁ‥
この「パイ」は「パニック」の「パ」なのですが、まさにわたしの妻はこれにあたります。

妻の場合は、私がなにか不用意な一言を言っただけで頭が痛くなり、行動が止まります。これは誇張でもなんでもなく、つい先週も起こったばかりです。これは、怖いです。すごく怖い。何回やられても怖い。怒られるのならまだしも、行動が止まるのです。周りに子供がいようが何をしようが関係なし。妻の行動が止まった瞬間に、全ての家事と育児の責任は私に移転します。文字通り動けないし考えられないんですから。この「地雷」の傾向らしきものは見えてはきたのですが、私の不注意もあり、まだ完全回避からは程遠い状況です。

実はこの傾向は結婚前、交際しているときからありました。この「地雷」は口で言うだけでなく、ネット上での発言でも同様であり、私は「地雷」を踏みたくないので、以前は活発にやっていたmixiをやめ、ブログをやめ、twitterアカウントを停止し、Facebookの発言を控えるようになりました。これは妻の精神力がないせいか、あるいは私になんらかの欠陥(空気を読めないとか)があるせいだ、と思っていました。

でも、これはなんかおかしい、とは思っていました。ただ、原因が分からない。

それが何年も続いて、つい最近になってやっとADHDに関係していることに気づいたのです。妻は、単に「片付けられない人」ではなかったのだ、と。わたしがあるときにそれを妻に(恐る恐る)指摘してみると、妻はあっさり認めました。最近自分もそうかもしれないと思い始めていた、と。そして、少しずつ対策を始めつつあります。

Think Simple:率直さと未来志向

昨日に続きこの本を取り上げます。

Think Simple ―アップルを生みだす熱狂的哲学

私は20年来のMacユーザーですが、狂信的というほどでもなく(iPodはよく使ったけど、スマホはずっとAndroid)スティーヴ・ジョブズの伝記も読んでいません。でも、この本だけはタイトルに惹かれて買ってしまいました。

私はスティーブを、「感じがいい」とか「意地悪だ」とか、「好意的」か「批判的」かという観点から考えなかった。彼は単純に、私に対して率直だったのだ。
(略)
率直さはシンプルであり、あいまいな言い方は複雑だ。 この初対面から数カ月もすると、スティーブはいつもこうなのだとわかった。頭に浮かんだことを口に出し、それを相手がどう思おうと気にしないのだ。

第1章 容赦なく伝える Think Brutal より

「iMac」の名付け親でもある著者とジョブズの初対面のシーンです。
この本によく出てくるのは「率直さ」「正直さ」という言葉です。これがシンプルに結びつくことは容易に理解できますね。でも、そう簡単にはできない。相手の気持ちを読んでしまうから。でも、ジョブズは御構いなし。真実が全てに優先するからでしょう。相手御構いなしに話すのはADHDの特性のひとつ、と聞いたことがありますが、アーチスティックなジョブズにもADHDの傾向があったのかも。
もちろん「正直さ」は裏目に出るばかりではありません。それは、前向きなとき。

シンプルさは、過去の問題に長くかかわることが嫌いだ。未来を考えることを好む。ミスを認めるのはつらいことかもしれないが、顧客はそういった正直さを評価してくれる。新しいマウスを披露したときに、ホッケーパックマウスは遠い過去の記憶になった。

Conclusion(最終章) Think Different より

私も初代iMacとホッケーパックマウス使っていました。あれはたしかに使いにくかった。でも、正直にミスを認めて先に進むことでさらに信頼を獲得していく。マックやiPhoneを使っている方はご存知でしょうが、アップルっていろいろ失敗作を出してるんです。それでもぶっちぎりに稼げるのは、それを補ってあまりあるシンプルさがあるからなのですね。

Think Simple:シンプルは1日にして成らず

週末は、私の好きな言葉を読んだ本からからご紹介します。

Think Simple ―アップルを生みだす熱狂的哲学

この本はシンプルというキーワードをもとにして、アップルという企業を生み出した組織論がメインであり、企業人としてすごく参考になる(できるかどうかは別にして)のですが、一方で個人の生活に役立つことがいくつも書かれています。昨日書いたあの一節も取り上げられています。

Simple can be harder than complex. You have to work hard to get your thinking clean and simple. But it’s worth it in the end because once you get there, you can move mountains.

シンプルであることは、複雑であることよりもむずかしい。物事をシンプルにするためには、懸命に努力して思考を明瞭にしなければならないからだ。だが 、それだけの価値はある。なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動かせるからだ。

この本の最後に出てくるジョブズ自身の言葉です。読んだのは日本語版ですが、原文をネットから拾ってきました。人はシンプルさに惹かれるが、自分のものとするのはそう簡単なことではないんですね。多くの人がかかわる企業はもちろん、個人でさえも。

アップルのすごいところは、その言葉をきのうや今日、獲得したわけではないことだ。それは三〇年かけて築いてきた評判のひとつなのだ。 アップルは長いあいだ、技術用語を使わず、人間的な方法でコミュニケーションをとってきて、それをシステムに刻みこんできた。

(第8章 Think Human 人間を中心にする より)

ハードに考え、それを長く続けて、やっと身につく。「シンプルさ」に限らず、思考回路を身につけることはそういうことだと思います。
私の頭の中を反映するこのブログが、「複雑さ」に支配されないよう、末永く努力しなければ。 

もうひとつのきっかけ:あなたには「まだ」時間がある

このブログを作ろうと思った、もうひとつのきっかけを申し上げます。

ひと月ほど前、うちの家族にとって身近な方が亡くなられました。まだ30代の若さでした。物心もつかないお子さんを残してこの世を去らなければならないとは、さぞつらかったことと思います。

彼の死因はガンであったこともあり、お亡くなりになる前に、自身の葬儀に参加される方々へメッセージを残されていました。生前における感謝の念を述べられ後で、こうおっしゃったのです。

みなさまには、時間があります。未来があります。

死を目前にしたかたが紡ぎ出す言葉は重いですね。たかがブログを始めるだけで持ち出すのは恐縮ですが、スティーブ・ジョブズも、死ぬ一歩手前を体験してから、こういうことを言ってました。

Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

いつかは死ぬのだ、ということを忘れるな。一見彼とは反対のことを言っているように思ったのですが、違いました。彼はきっとこう言いたかったのでしょう。

あなたには「まだ」時間がある

第3のキーワード「シンプル」:ADHDにこそ役に立つ!?

第3のキーワード、シンプルです。

私がシンプルさを重要視するようになった一つのきっかけとなったのは、10年以上前、当時唯一の肉親だった母を亡くした時でした。

家に私一人残されて、これからどうしようと考えて、始めたのが当時家にあった棚のほとんどを処分することでした。棚がイヤだったとかいう問題ではなく、単純にひとり暮らしには大きすぎてあまりにも向いていなかったのです。代わりに無印良品の組立式シェルフユニットを大量に買い込み、自分で組みたてるところから「シンプルさ」について無意識に考え始めたのでしょう。

さらに、その後ある一冊の本に出会ったところから、本格的にシンプルさに魅せられ始めたと思います。その本については、後日ふれますが、とにかく数年前から「シンプルさ」をテーマにしたブログを書いてみたい、となんとなく思っていました。ただ、あまりにも漠然としていたので、どうやって立ち上げるかとか考えてもしませんでした。

ところが、ここにきて、シンプルさってADHDの人にこそ役に立つのではないか、と思い立ちました。シンプルな考え方を持っていれば「テンパる」ことも減るのではないか。さらにはADHDでなくてもテンパりがちな子育てパパにも役立つのではないか。こうして、自分の頭のなかで3つのキーワードがつながったのです。わずかひと月ほど前に。

そこからブログを書こうと思い立ちました。サーバーを手配して、とにかくwordpressを入れてみて、拙速でも立ち上げました。サイトのデザインがシンプルですが、単にいじる時間がなかったのです。あえて無料のブログサイトを選ばなかったのは、自分の作りたいように作りたかったから。これからいろいろサイトもいじっていきますが、これも「シンプルさ」に向けた実験のひとつです。